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おらこんなインターネットいやだ

昨晩ホーチミンからダナンに戻り、今ベッドの上。動けない。疲れた。最後のスイティエンパークの撮影がこたえた。だってあそこ広すぎるんだもん、確か、ディズニーランドランドとシーを足したより広かったかな。ディズニーといえば、園内でエレクトリカルパレードが流れていたけど、あれをネタにするかどうかちょっと悩んでる。

YOUは何を手放せずに日本へ

昨日公開された記事に反響があった。日本に暮らす外国人の方に「国から手放せなかったマストアイテム」を聞いた話。反響の大部分ははてブ(はてなブックマーク)で、FacebookやTwitterはそうでもなくて、このSNSごとの琴線傾向っておもしろい。誰か統計にまとめたら需要あるだろうなぁ、ま〜それは今はどうでもいいとして。

常にって訳じゃないけど、反響があると見たくなるじゃないですか。コメント。はい、いわゆるエゴサーチですわ。すみません、すみませんね。誰だって褒められたくはあるだろう。それで見たら意外なものがいくつかあって。ネルソンさんらしい良記事、とか、ネルソンさんの書いた中で一番いい、とか、ネルソンさんの面目躍如、とか。最後はいやおいおいそれ怖いな、マジで怖いこと言ってるな、なにおれどこかで散々なこと書かれてんの?って話だが。

それの何が意外って、「名前覚えられてたんだな、認識されてたんだな」という。正直、掲載媒体(あえてこう書く)の中では自分は空気みたいなもんだと思ってたから。これはネット媒体全体の話でもあるんだけど、コンテンツが増えれば増えるほど、SNSから入ろうが、検索から入ろうが、読者にとっては、記事の内容→媒体名→ライターという認識をすると思ってる。つまりライターとは最後の最後にあるもので(いや、編集者はそのあとだな)、だからこそ自分が編集する分にはライターがなんとか立つようにいつも考えてるんだけど、自分自身はやはり空気のままだと思っていたので、そんな個人名に触れるコメントがあるのは正直驚きなのだった。それにしても面目躍如が気になる。いきなり知らない人から「見直したぞ!」と肩を叩かれた感じ。俺は自分の名前では絶対にエゴサーチしないマンなので知らないところでいろいろ言われてんだろな…。

そんな状況をしばらく考えていて、最近は「もういいかな」と思ってきた。褒められるとそりゃうれしいし、ライターに限らず自分の作品を出すモチベーションって人並み外れた自己承認欲求があるからだと思ってる。今なにを理由に叩かれるか分からない時代だし、叩いたあとで実は勘違いでした〜誰も責任持ちません〜なぜなら事実上の匿名だから!という残酷物語も平然とある。そこで実名や顔も出しつつやるなんて、「書かない理由」を挙げれば枚挙に暇がない。おもしろいことをやるのは、おもしろいと言ってくれる人がいるから。そこがゼロで、自分だけが自分を褒められる、そんな状況で同じことを数年続けられる人は良くも悪くもクレイジーだろう。そんな世知辛さに対して、もういいかなぁと。

なにかつくって披露することはやめない、やめられない。ただ、不特定多数の、なんなら最初から俺に対して悪意を持っている人もいる吹きさらしのインターネットで、いつまでもはっていう話。具体的には会員制コンテンツとか、誰かのために直接つくるとか、そういう話。関係性のある人に届けたいというか。たぶん有料の雑誌とかはそういうことなんだと思う。金を出しますよ、という関係性を築いている。休刊ブームだったけど、そろそろ風向き変わってきたのでは?有料コンテンツなんて本質的には雑誌だと思うよ。とはいえ、なにもすべてを一方に偏らせることもないし、吹きさらしだからこそ得られるものは当然あります。忌憚無き意見は常に耳に入れておかないと人は変わらなくなってしまうから。ちょうど昨日空港にいたけど、ふつうの搭乗口にいるか、会員専用のラウンジにいるか、に近いかも。

ただ、最近はやっぱり、おらこんな村いやだ的な感じで、おらこんなインターネットいやだみたいな気持ちが生まれています。

ぜんぶうまい棒につぎこみます