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デジタルコンテンツとリアリティとお金

昨夜は仕事の話で盛り上がった。いや、盛り上がったというか、もしかしたら俺が一方的に語っているだけなのかもしれない。分からない。でも良きアドバイスをたくさんいただきました(そう書くとやっぱり一方的に語ってるだけやないか、と我ながら思った)。

私はクリエイターを尊敬しています。それはべつにライターとかイラストレーターとか、漫画家とかミュージシャンじゃなくて、それらもひっくるめて「0→1」ができる方という自分の中での定義です。「1→10」や「10→100」が出来る人は、自分にはできないのですごいなとは思うけど。でもなぜっていうと、きっと「前者は一人からはじまるから」なんだと思う。

失敗したらバカにする人は、必ずいると思うんですよ。というより、失敗しなくても一人、あるいは少数派であるというだけでバカにする人は世の中一定数いる。マイノリティに対する攻撃という意味では、根っこは差別と同じだと思ってる。挑戦する人はそうしない。言われる側の辛さも言う側の醜さも知っているし、なにより結果次第では自分が惨めになるだけだから。もはやチカン行為だと思ってます。すみません、だいぶ主観が入りました。それで、そんな逆風を顧みずにやるんだから、やっぱりそれだけで尊敬できる。もしかすると自分が考えるクリエイターは世間の認識とズレてんのかな…。

でも、一次制作者ではなく、二次や三次の制作者(制作者?)が利益を取っていってるよねー、という話をした。その理由については単純な話、一次は「0→1」であり、とにかく「人目に触れない」から。かつ、1→10に対して興味のない人が多い(と自分は思っている)ので、1をつくったあとはさらにまた違う1をつくろうとするから。やっぱり人目に触れる分、お金が生まれるチャンスは1→10にあるんだろうけど。本当は、0→1と1→10が、つまり、生み出す人と広げる人が手を組めると一番良いんだけど、人間は基本的に、一人にひとつの意志なのだから、これがなかなか難しい。そもそも、だいたい、タイプが違うので性格的に合わないことも多いと思う。

「手を組まない(組めない)」だけならいいんだけど、インターネットというまだまだ無政府的な、ユーザー次第で白にも黒にもなる場所では、一次制作者に無断で二次三次制作者(制作者?)を買って出る人もいる。まとめサイトとか。導線を引きますよ~なんてことを言っても、こうして日々無尽蔵にコンテンツが増えつづけるインターネットで、今はもはやタイトルと写真を見て要点だけ分かればもうその先には興味のないという人が増えているのが実情だと思う。全体的に、食傷気味で、飽き性になっている。当たり前。

「露出」(たとえば広告収益)がお金の生み出しどころなら、これは最悪の事態だ。奪われていくだけなんだから。導線はほしいけど、コンテンツを提供して導線を引くというのは、どうも軍門に下った気がする(繰り返しておきますが、『「露出」がお金の生み出しどころなら』です)。だったらどうするべきか、どうしたら飯のタネの搾取を防げるだろうかと考えたときに、「コピーされないものを飯の種にする」だねって話になった。そうなるとデジタル化できるものにはどこかで限界があると思うので、言い換えると「リアルに落とし込めるものを飯の種にする」ってことになるのかもしれない。

だからといって、ただ「ネットにアップしているものをそのままリアル(たとえば紙の書籍)」だと、「紙の手触りが好き」「読んでいる感じがする」といった紙媒体愛好者にしか届かない気がする。それはチャネルを変えただけで、それでも意味があるっちゃあるけれど、まったく違う価値を生み出したとは言いづらい。そうではなくて、できればもっと、リアルに落とし込んだことによってはじめてまったく別の価値が生まれたものでなくてはならない。なお、ご存知の方もいると思うけど、最近毎日公開している動画は、今のところそれありきで進めている。そもそもYouTubeのアフィリエイト収益という観点では、「一分以下」とか本当に向いていないフォーマットだし。

昨日聞いた話では、「楽曲でいうところのライブがそうだ」と。あぁ、確かに、なるほど。ライブもフェスも、その場にいかないと味わえないものだ。CD(今なら楽曲データか)とライブはまるで違う価値を持っている。パソコンやスマホの前だけでカタカタ・スッスッとやっているだけなら気楽でいいけど、ちゃんとリアルだからこそ価値を持つコンテンツも、つくっていかないといけない。ネットに無料コンテンツが溢れた今、リアリティの時代だ。

今、有料ネットコンテンツの話がよく耳に入ってくる。あれはリアルでなくデジタルコンテンツでの収益構造ではあるけど、そう見せかけてリアルだと思う。「これにお金を払う私」という、自己定義というリアリティにお金を払っている。ある意味、お金を払う行為にお金を払っている。同じものでも10円より100円で売られている方がふしぎと価値を感じてしまう、みたく。


この話、忘れないうちに書き記しておこうと思って書いといた。

ぜんぶうまい棒につぎこみます