見出し画像

広島への旅 胎内被爆者との出会い

# 男四人旅

 男四人のむさ苦しいメンツで広島旅行に出た。職業も性格も住んでるところも全然違う、変な団体。
ちょっと酒と歴史が好きで、反左翼(リベラル)ってところが共通点か。

 今回の旅の目的は大和ミュージアム。
まあ、そこに行く前に原爆ドームを見に行こうか、というプランだった。

# 前回の広島の思い出

 広島への旅行はおよそ20年ぶり、2回め。
前回は漂泊の思いに駆られてフラッとひとり旅。初めて訪れた原爆ドームの迫力に圧倒され、広島平和記念資料館で被爆者の子どもが描いた絵に心を揺さぶられたのを思い出した。

 過ちは繰り返しません…とか、なんかウソっぽい偽善の香りがするA日新聞的な表現の出し物ではない。
血と炎と真っ黒な瓦礫の中で「チクショウ チクショウ 鬼畜英米め」と悔しがって泣いている少年の絵が心に突き刺さったまま20年経った今でも残っている。圧倒的現実の矢面に立たされた少年は、彼からは見えぬ米国の作戦立案者にとっての「想定内の犠牲」だったのだろうか。

今回は、展示内容も変わっているだろうし、原爆の記憶を語り継ぐまだ見ぬ資料もたくさん出てるだろう…と期待していた。他の三人はそれ見て何を思うのかな?

# 偶然の出会い

広島駅の近くの昭和レトロな喫茶店で美味しいモーニングを頂き、その足でタクシーを拾い護国神社・広島城を見てその後原爆ドームまでタクシーを走らせた。
降りてすぐ、仲間の一人が「原爆爆心地ってどこ?」と尋ねてきた。
そういえばエディオンを出てちょっと進んだところに爆心地の看板を見た記憶がある。
スマホ片手にウロウロしていると、ツアー客?とガイドさんらしき人がいる。
近づくと、女性数人がえらく滑舌のいいおじさんの説明に聞き入っていた。

ガイドさんは快く一緒に聞いてもいいよと言ってくれた。説明をうける集団に入った我らにおじさんの説明がマシンガンのように入ってくる
爆心地の正確な位置はあの辺りだよ。なぜなら、当時の写真でズレた建物や熱線跡で調べると位置なんて特定可能だよ

はだしのゲンや被爆者の記憶では水を求めてたくさんの人が川に飛び込んで浮いていた…そんな話を聞いたことあるだろうけど、それは嘘だ。川が沸騰したとかもありえない。なぜなら熱線の温度はこれくらい上がるけど、その時間で川の水を沸かすのは不可能。川にたくさんの死体が浮いていた写真は、海に流されて浮いていた死体が次の日満潮で押し戻されていたところを写したものだ…
知っている情報はきちんと理屈を示して否定していく。
知らない情報もきちんと根拠を出した上で説明してくれる。このおじさん、何者?

そう思っていたら、自分のことを色々話しだした。ちなみにこの時点で先の女性陣は離脱。
我々がガイドされる人たちになってしまった。
おじさんの名前は三登浩成さん。胎内被爆者だといって被爆者手帳を見せてくれた。
身重の母親が黒い雨が降った日に姑宅を見に来ていたらしい。
ちなみに祖父は数日後死亡したけど母親は100歳超えてご存命らしい。

教師をやってたけど退職し、20年弱ほどボランティアでガイドをやってるらしい。
ガイドした人数は30万人超えたとかいってた。継続は力なり。すごいな。

話は佳境へ。でも、原爆の悲惨さを語るのではなく、なぜか話は広島平和記念資料館が最近おかしい!っていう内容に。何がおかしいの?
曰く。反米につながるような表現を徹底的に排除してきてる。自民党が忖度して圧力をかけてきている…あれ、元日教○の左側の人?…とおもいきや、やはりきちんと根拠を並べ、お手製のファイルを捲りながら、なぜそうなのか理路整然と説明してくれる。さすが元先生!分かりやすい。そして胡散臭い思想に染まっているわけではなさそう。

アンテナのついた原爆の模型をなぜか全然違う形の模型にすげ替えたこと。爆心地付近で残った頑丈な建物の貴重な被爆の証拠を改装時に撤去してしまったこと。色んな実例を次々と繰り出して説明。
学芸員たちも語れない様々な圧力があるようで、理不尽な展示挿げ替えが横行していること等々
京都もそんなとこあるよね。なんか伏魔殿のようになりやすい地方の大都市。変な思想のボスみたいなやつが圧力かけてるんやろな

話は様々なところにさらに広がり、アメリカ(ソビエトも)の過去の核実験では人体実験のごとく兵士や一般人が被爆していた。政府は否定し続けている。など恐らく海外の人たちにも英語でガイドしたであろう内容がボンボンと飛び出してきてふと気づくと1時間くらい経っていた。

次の予定があるから…とお礼を言って撤収。広島平和祈念館に行ってる時間も(入る気も)なくなってしまった。
原爆ドームの近くで写真を撮って、大和ミュージアムへ移動。

たまたま爆心地どこ?と移動したのがキッカケで思いもよらず、すごいガイドさんに出会えた。現地にいかないと出会えない出会い。これも旅の醍醐味。
「過去を振り返ることは将来に対する責任を担うこと」
三登さんの最後の言葉が刺さった。
三登さんの発信を詳しく知りたい方は[こちら](http://blog.livedoor.jp/mitokosei-3105/)

# 思ったこと

プーちんが戦術核使うぞと脅している今、核兵器の使用に対しては断固としてノーを言い続ける必要があるよね。
戦術核なら限定的だから…など言う人もいるけど、広島原爆と同程度の威力がある兵器を使うと言っている狂人を受け入れる世界にはしてはイカンよな~

核兵器を使うということへの想像力を養うには、やはり被爆地で何があったのかの知識は必須。広島も長崎も日本人であるならば一度は行って、考えて、あとは観光楽しむべきだな。
広島。酒もお好み焼も穴子も牡蠣も美味かったよ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?