失敗を渇望した結果、失敗しづらくなった話。

早いもので、2019年もあとわずかである。(4か月ぶりのnoteが「振り返りnote」になってしまう、なんてことはよくある話だ…)

「令和」の瞬間をイギリスで過ごしていたためか、新しい元号に入った感覚は未だに鈍い。尤も「31」という年齢は、「過去のどこかで内から溢れる繊細な感覚が、同量以上流出してしまうようになった現実」を即座に受け入れられるほどには、大きくないのかもしれない。超一流選手が、自身の感覚と実体とのズレをなかなか甘受できないように。同じく、海の向こうで受け取った「イチロー引退」の衝撃は、その事実への単純な関心だけではなかったのかもしれない。「脳細胞の数は生まれてすぐにピークを迎える」とセンチに語られることも多いが、事実は果たして。

さて、2019年に点数を付けるとすれば何点だろう。そんなことに意味がないのは百も承知だが、敢えてつければ2018年に引き続きほぼ満点だ。こんな人生を送ることができているだけで、幸せだなと思ってしまう良い時間を今年も過ごすことができた。留学中に訪れたパリの中で最も治安の悪い地区の1つに位置するバルベス・ロシュアール駅※構内で遭遇した引ったくりとのひと悶着が、採点基準を大幅に緩めてしまった感は否めないが。(私は無事に追い返すことができ被害は在りませんでしたが、本当に危ないので絶対に行かないでください。)

2019年の私を牽引したのは、何と言っても仕事だった。Q1は年明けから予算と役員向けの資料作成を並行し、Q2はイギリス留学、Q3, 4は尊敬する先輩から引き継いだ仕事をガムシャラに進めていった。人間関係、事業環境の移り変わりが激しい中で、短時間で様々な状況に適応し、時間辺りで高いパフォーマンスを維持できた。実質横並びの賞与体系の中でも、上司の評価が見られた点は嬉しい。定時前に疲労することが多くなったのだが、単純な体力低下というわけではなさそうでひと安心。

2019年の目標は、とにかく失敗することだった。いつかどこかで背負わなければならない責任を全うできるだけの引き出しや経験、修羅場を兎にも角にも増やしておきたかった。だから、上司、後輩、関係会社の方々に「あー、五月蝿いなぁ」と思われようと、膨大なコミュニケーションを積み重ね、即座の意思決定を勝ち取ってきた。たくさん失敗するためには、たくさん着手する、そのためにはたくさん許可を得なければならない。「私」が付加価値を重ねることができる全ての場面に、介入し尽くした。結果として、後半戦は泥臭く、感情的な場面もあったが、平素は全員が楽しく過ごせるコミュニケーションを模索し続けた。

不思議なことに、失敗の数は減った。空白地帯の課題は皆でどんどん掘り起こして解決してしまい、むしろ楽になった。失敗は、予め想定した選択肢の1つに成り下がることが多かった。各方面から、物事の進め方について定期的に問い合わせや相談を受けるので、自分や自分に関わる方々が余計なことに時間を使わなくて済むようになった。やりたいことが、思う通りに運びやすくなった。だから、2021年も失敗を渇望し、楽しく仕事しようと思う。意義ある失敗にたくさん、出会うために。

私は人間の潜在的な能力、可能性は無限であると考えている。一方、「時間」という要素がそれを徐々に制限してしまう現実も分かる。だから、たくさんの「やりたいこと」をやるためには、まず「やらないこと」を決めて、実行に移さなくてはならない。

【2020年のやらないこと】
①悪口
②「自分がコントロールできない物事」をコントロールしようとする行為
③付き合いで行く集まり

目新しいことはない。昨年に引き続き、これら「マイナスでしかない時間」を0にして、隙間時間に英語や会計の勉強をしていきたい。

2021年、今から良い年になりそうな気がしている。(noteも少しは書けると良いなぁ……)

※ユーロスター着駅のガーデノード(パリ北)の隣駅。パリ中心部から同駅に向かう地下鉄の次の駅なので、ガーデノードで降り忘れて、間違って行ってしまわないよう…

何かのお役に立ちましたなら幸いです。気が向きましたら、一杯の缶コーヒー代を。(let's nemutai 覚まし…!)