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営業の葛藤①(値上編)

事業部門に異動し、営業職として早1年。

「君には判断することを任せたいから。」と、9か月で国内営業統括になり、予算も任され、今月からは突発的な要因もあり、輸出業務も担当することになった。

お世話になった一部の国内顧客には交代挨拶も早々に、しかし何度目かの、恒例になりつつある価格改定の申し出を行う。昨年、名刺とともに、震える思いで初めて臨んだその作業も、この1年の激変する市場環境の所為で、過去の先輩方の、数年分に勝る経験をしている。

「業界の前例踏襲は芸がない。素人ほどさっと値上げをやる。」

責任者の叱咤は、環境変化が早まるにつれ、全ての製品群にわたり強まっていき、比例して、「そこまで…」という不満の声も増えていった。牧歌的な交渉、なんて他部門を揶揄する声も聞かれた。

一方、僕には違和感が無かった。常識というものが形成されるほど長く所属していないこともあるが、何より、その「素人」の一人は、この数か月、会社の目標値以上で値上げ達成してきた数少ない営業担当の僕であるように感じたからだ。

能力云々以前の話である。サプライヤー有利な経営環境に加え、僕は購買部門(担当は"物流サービス"だが、何かを買って社内の決済を得る点は共通している)の経験者でもあった。困難な要望も、どこまでが通るのか、相手の気持ちや、相手を支配する決済システムの大枠が手に取るように分かってしまう。こと上場企業においては、担当者の権限は有るようで無いし、無いようで有る。そのことを、徹底的に理解しているからこそ、歴戦の経営者やプロキュアメントの担当者も、「ああ、お任せしないとボロが出る。」と強気な態度を改める。過去に自分が仕掛けた交渉術がそのまま返ってくるので、過去問を手に臨む大学のテストと大差なかった。何かを失う怖さも実績も無く、助かると分かりきったバンジージャンプを躊躇う理由が分からなかった。

それでも、僕は機械ではない。このコロナ禍、もっといえば2019年の米中貿易摩擦から立ち込める不透明感や、コロナ禍のジェットコースターのような需給の変動に翻弄される中小企業において、ラフな雑談の何気ない端々から、身を削られるようなプレッシャーや、値上げを認めない旧態依然とした特定業界の商慣習への、やりきれない感情を、時間をかけて共有してきた。最後の訪問に際し、初回と同じように心が揺れたのは、数か月の短く濃密な関係への惜しみない感謝のみならず、苦しい状況を理解しながらも自社製品の採算是正を遂行しなければならないことの申し訳なさ、もっといえば狡さのようなものとの、交わることのないアンマッチだろうか。経済原理と割りきれないのは、失われた30年と揶揄される淀んだ停滞感とも無縁ではない。

新しい目線で事業を見ると、いろいろなことが見えるものだ。この1年間は、先輩の目に見えなかったもの。もっと言えば「見ると面倒なもの」を敢えて見ることで、国内事業の方向性を自分なりに組み立てることができた。キャリアが長引くと、判断が集中し、必然、プライドだけ膨れ上がってしまう。そういう魔物に支配されるのが嫌で部署から異動したのだが、その懸念はやはり正しかったように思う。実行に移すには、もう少し環境づくりが必要だ。若手とそれらを共有して、タブーを直視する目を少しずつ育くんできた。あと一、二年で決定的な変化を起こせるだろう。

ということで、目先の海外業務である。どちらかと言えば海外業務は避けられる傾向にあるのだが、僕にはその意図するところがわからない。タダどころか給料まで貰って「英会話実践編」を受講できるなんて、気前の良い話だと思うのだが。


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