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自由に生きるためのあれこれ。

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怨みとの再会に、祝福を。

ここ最近、体調と人生の巡りみたいなものがとどこおっているように感じていたので、 その気持ち悪さを拭い去りたくて、ちょっとガチめの温活(子宮温活)をしていたんですよね。 なんか、自分以外の人と婚約したりとか一緒に暮らす準備を始めたりとか、関係者に挨拶回りしたりとか、表面的にはあれこれ動いてるんだけど、 やらなきゃいけないことや関わる人が増えるほど、瞬間瞬間の本当の気持ちに蓋をして、「べき&ねば」による妥協の選択を重ねていっている感じがしていたり、 それ故に肝心の自分の中

抑圧よりも幸福のために時間を使おうの話💐

私たちは、「こうあるべきだ」という『型』にはまることよりも、自分を幸せにすることのほうに、もっともっと、もっとエネルギーを使うべきだ。 って、最近すごく思うんですよね。 こう言うと、「べきねば」で語るべきではない、人に強要するのはハラスメントだ、とお叱りを受けるのかもしれません。 でも、私はニュースで流れるような昨今の悲しい事件や、身近なところで起こるいろんな不調和な出来事を見ていて、本当にそう強く感じているのです。 集合意識レベルで価値観をシフトしていくときに、抑圧

『自分に厳しい思考』は薬物みたいなものだから。

今日も前回に引き続き、自分と仲良し作戦会議の第二弾を進めてまいりたいと思います🐻 初回の更新では『 《令和版》 天国言葉と地獄言葉を考えてみよう会議』と題しまして、 自分を幸せにする言葉(思考)と、反対に自分を不幸にする言葉(思考)について考えて参りました。 (GWスペシャル二部作にするつもりが気づいたらGWが終わってしまっていた、、笑) そして今日はその続き。 自分に厳しい『地獄言葉(思考)』がゾンビのように心の中に居座り続けちゃうときはどうしたらいいの〜〜〜(泣

《令和版》 天国言葉と地獄言葉を考えてみよう会議。

今日からはですね。。 ゴールデンウィークスペシャルということで、自分と仲良し作戦会議note♡二部作をお届けしていきたいとおもいます🎏 初回の今日は、【 令和版(いや、Sunao版)天国言葉と地獄言葉 】についてお送りします。 そもそも『天国言葉』『地獄言葉』ってなんなんすかって話からなんですが。。。 さかのぼること、十年ちょい前だったと思います。 私が「幸せになるには」みたいなことにガッツリ興味を持ちはじめて、最初に出会ったのは斎藤一人さんの思想でした。 その斎

自分と仲良しになるために手放したモノ。

最近noteさんからのおすすめに「手放し」のキーワードが出てくるので、これは私にも書けというフラグなのかな?と思いまして。。(そんなことはない) そこで私も便乗しまして、今日は自分が “自分と仲良しになるために” 手放したモノについてシェアしていきたいなと思います。 さて。 タイトルを「自分と仲良くなるために手放したモノ」としたのですが 先に補足として書くと、私の言う「自分と仲良くなる」って、「自分のインナーチャイルド・自分の女性性を大切にする」ってことです。 ここ

「はやく」生きられなくたっていいじゃない。器用に生きられなくたっていいじゃない。

先日、朝目が覚めてベッドの中でぼんやりしていたときに、ふいに小学校の卒業式のことが思い出されたんです。 「よびかけ」って言って今も全国的に残っている文化らしいんですけど、一人ずつなんか決められたセリフみたいなのを言っていくやつありましたよね。 なんか寒くて殺風景で微妙な匂いのする体育館に集められてカタイ椅子に座らされて集団で一生懸命「大人への感謝の言葉」を練習してたの思い出して、うわ、おっそろしいなと背筋が凍りそうになりました。 あれは何をやらされていたんだ(笑) (

《HSP・エンパスさん》 ドリキラ&エネルギーバンパイアどうする会議。

HSP人生、エンパス人生を歩んでいると、おそらくどこかのタイミングで人一倍向き合うことになるのが『エネルギーバンパイアどうする問題』だとおもいます。 そして、HSPやエンパスといった自分の性質を受け容れた上で新しい生きかたを構築していこうとする際に浮上しがちなのが『ドリームキラーどうする問題』。 さて。 エネルギーバンパイアどうする問題については過去にも書いたことがあるのですが、 この記事を書いてから時間が経ち、また新しい視点が自分の中に加わったので改めてこのことにつ

内なる神秘に手をあわせる。

みなさま。初詣にはもう行かれましたでしょうか。 すでに行かれたかたも、まだだよというかたも、行かぬぞというかたもいらっしゃると思いますが…… 本日は、誠に僭越ながら、初詣に並ぶ開運アクションとしてみなさまにおすすめしたいことありまして、謎の使命感とともにPCに向かっておりますわたくしでございます。 わたくしが新年にぜひともおすすめしたいのは、初詣ならぬ…… 自分詣⛩️✨ でござります。 出たなナルシスト、と思われるかもしれませんが、いやいやちょっとお待ちください。

新世界に寄せて。自分の中の『奇跡』にめざめる。

近年、スピリチュアル界隈でもビジネスその他の界隈においても、やたらと「二極化が進んでいる」とかそういう言葉を目にする(耳にする)ことが多くなったように思います。 この「二極化」って結局なんなんですかねということを説明しようと考えたとき、私はこう思ったんです。 【 「他人軸で生きている人」と「自分軸で生きようとしている人」とが、交われないようになってきている⠀】 ということなのだろうなと。(これは私自身が日ごろ痛感していることでもあります) 他人軸ってなんですか、自分軸

ただ、いのちに戻る時間を。

本題に入る前に、ひとつごめんなさいを申し上げます。 ここのところ、DMやコメントをたくさん(たぶん他のひとにとっては全然たくさんではない数)いただいておりまして、お返事がとってもとっても遅くなっております。 たいせつに書きたいお返事ほど、調子のいいときを待って書くのでお返しするのが遅くなってしまいます。(という時があります) 前から仲良くしてくださっているかたはご存知かと思うのですが、コメントを含む個別のやりとりに関しては(いやそれ以外のことも汗)非常にルーズで失礼極ま

『自分軸の時代』がはじまるよ。

「置かれた場所で咲きなさい」という言葉はあまりに有名ですが、この言葉のもととなっている 同タイトルの渡辺和子さんの本を読んだことは、皆さんおありでしょうか。 私はもう何年も前にやっていた楽天ROOM(というSNS)で素敵なフォロワーさんがおすすめされていて読んだことがあるのですが 十年一昔とか五年一昔とはよく言ったもので、最近では「置かれた場所で咲く努力をすることで道がひらける」というよりは 「置かれた場所で(我慢してまで)咲こうとするな。不快な環境からは全力で逃げろ」

その罪悪感は本当に自分のものなのかっていう。

瓶が割れた夢を見ました。 なんか突然スイマセン。今朝、瓶が割れてる夢を見たんです。 瓶が割れたくらいなんだ、片付けりゃいいじゃん。 で済む話なんですけど。 その夢の中では、瓶を割って辺りに散らばったということを周りの人たちがすごく重大なことと捉えていて、割った本人である私のことを執拗に責めてくるんですね。 「オマエの不注意のせいでこんなに大変なことになった」って。 「こんな重いことをしておいてよくそんな平気な顔していられるな」って。 周りがあんまり騒ぐもんだから

〝 甘ったれで何が悪い 〟

先日の「可愛く生きちゃダメかしら」に引き続き「甘ったれで何が悪い」って、なんかウケますよね。 完全にやばい人じゃん。 不思議なもので、自分の顔をアイコンにしたら、もっと普段の私っぽく書きたい!って気分になったんですよ。(アイコンは普段の私よりちょっと盛ってるけどね) 今までも別に飾ったり偽ったりしていたわけじゃないけど、もっと素の私らしく肩の力抜いて書きたいなって思って。 noteで発信とかしてるとどうしても、「人を不快にさせないようなこと書かなきゃ」とか「自分をよく

可愛く生きちゃダメかしら。

「ふーん、可愛く生きてんねえ」 これは私が以前、とあるHSP向けセミナー的なものに参加したときに、主催者の女性に 初めて顔を合わせた瞬間に言われた言葉です。 この言葉が私に向かって、あまり好意的ではないニュアンスで放たれているのであろうことは、人の気持ちに敏感ではない私であっても なんとなく感じ取ってしまいました。 発言の真意はわからないけれど、その言葉の主である女性の目が完全に冷ややかで笑っていないということも相まって、私の心はその場で静かにシャッターを降ろしてしまっ