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トルストイの日露戦争論/「汝ら悔い改めよ」 第八章

第八章

 斯く論断せば、種々実際の行為に依って先入の見を有する者或[あるい]は言わん、「我々の苦[くるし]める此の害悪を廃滅[はいめつ]せしめんが為には、単に数人のみに非ずして、一切[いっせい]の人が悔改めざる可らず、而して又、一切の人が神の意を行い、隣人の為に尽すに於て、各[かく]其生涯の目的を同一様に理解せざる可らず、

是れ豈[あ]に可能の事なるか」と

 予は答えて曰う、単に可能の事なるのみならず、此事の行われざらんことは不可能也と

 人にして全く悔改めざらんことは不可能也、何人[なんぴと]と雖[いえど]も、我は何者なるか、我は何の為に生活せるかと自問せざらんことは不可能也、既に人として事理を弁ずる以上は、我は何故[なにゆえ]に生活せるかを探求するの念なき能わず、幾度[いくたび]か斯く自問しては、各其程度に応じたる宗教観を以て之に答え居れるなり、而して今の時に当っては、人皆其心の底に感じ居れる矛盾の為に、殊に強く此問[とい]を発し敢て其答[こたえ]を求む、而して今時[こんじ]の人の之に答えんとするや、人生の法則が人を愛し人に尽すに在る事を認識せざるを得ず、是れ人生の意義に対する唯一[ゆいち]の合理的答案なればなり、而して此答案は一千九百年の昔基督教に於て表明せられ、爾後広く全人類の多数に知られたる所の者なり

 此答案は、今の基督教世界の総ての人の良心の中[うち]に隠然として存在すれども、公然自ら現るる事を為[さ]さずして暗に人生の指導を為[な]せり、其理由は他[た]なし、一方に於ては、今の世の最大の権威たる、謂[い]わゆる科学者が、宗教は一時的の者にして、今や人類進歩の段階に於て既に時代後[おく]れとなれりと云う大誤謬[ごびょう]に陥り、今僅かに教育せられつつある民衆に対し繰返し繰返して其誤謬を伝[つと]うるに依れり、而して又他の一方に於ては、今の権力者が(教会の信条は即ち基督教なりとの誤謬を有するが故に)或[あるい]は故意に、或は無意[むい]に、浅薄極まる迷信をば、是れ即ち基督教なりとして、盛んに人民の間[あいだ]に支持奨励せんことを勉[つと]むるに依れり

 若し此の二個の詐偽[さぎ]にして破壊せられなば、既に久しく今人[こんじん]の心に潜める真[しん]宗教は、必ず忽然として生起すべし

 而して斯くの如く行われしめんと欲せば、先ず一方に於て今の学者をして、左[さ]の一事[いちじ]を理解せしめざる可らず、人類同胞の主義と、己れの欲せざる所之を人に施さざるの規則{下註}とは、是れ決して他の思慮分別に服従せらるべき人間雑慮の一に非ずして、高く他の思想の上に立ち、神人間[しんじんかん]の不易の関係より流れ出[い]ずる大主義なるが故に、即ち是れ宗教、一切[いっさい]の宗教にして、従って常に義務的の性質を帯[お]ぶる者なり

 又他の一方に於ては、故意或は無意に、基督教の皮を冠[かぶ]りて浅薄なる迷信を説ける業[ぎょう]をして、左[さ]の一事を理解せしめざる可らず、彼等が支持し説法する所の信条、典礼、儀式等は、決して彼等の考うるが如く無害なる者にあらず、其実最高度の有毒物にして、神の意を行い、人の為に尽すに於て発現せらるる宗教的大真理を人目[じんもく]より蔽[お]う者なり、又己れの欲する所之を人に施すの規則{下註}は、基督教の命令の一たるに止[とどま]まらずして、是れ即ち福音書に示されたるが如く実際的宗教の全部也

 若し人をして一斉[いっせい]に人生の意義を自問せしめ、而して一斉に之に答えしめんと欲せば、そは決して難事に非ず、識者を以て自ら任ずる人士をして、宗教は旧性[きゅうしょう]の発現なり、野蛮時代の遺物なりと考うるを止[や]めしめ、及び之を次の時代に伝うるを止めしめ、又人をして善良なる生涯を送らしめんが為には教育を普及せしむれば足れり、(即ち種々多様の智識を普及せしむれば、人は何[いず]れかに於て正義と道徳的生活とに導かるべし)と考うるを止めしむれば足れり、而して其代りに彼等をして、宗教が人間の善良なる生活に必須[ひっしゅ]の者なるを知らしめ、又其宗教が既に今人の身心[しんしん]の中[うち]に存在し且つ生活せるを悟らしめざる可らず、而して又、故意に或は無意に教会の迷信を以て人民を迷乱[めいらん]せしめつつある人々をして、直ちに之を止めしめ、基督教に於て重要喫緊とする所の者は、洗礼にもあらず、聖餐礼[せいさんれい]にもあらず、信条の宣言にもあらず、只神を愛し、隣人を愛し、己れの欲する所之を人に施すの命[めい]を履行するに在るを知らしめ、一切の法則、一切の預言、悉[ことごと]く此中[このうち]に在るを認識せしむれば足れり

 若し此の似而非[にせ]基督教徒及び科学者にして十分に之を理解し、彼等が今其の複雑なる、混乱せる、而して不必要なる理論を説くが如く、此の単純なる明白なる而して必要なる真理を、兒童と無教育者とに向って説かば、世人は皆一斉[いっさい]に其生活の意義を理解し、其意義より流出する純一[じゅんいち]の義務を認識するに至るべし


※「己れの欲せざる所之を人に施さざるの規則」……「トビト記」4:15「自分が嫌なことは、ほかのだれにもしてはならない。」(新共同訳)

※「己れの欲する所之を人に施すの規則」……「マタイによる福音書」7:12「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」(新共同訳)
この言葉は既に第六章でも出ています。