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トルストイの日露戦争論/ロンドン・タイムズ紙の関連記事

以下は、加藤直士訳「トルストイの日露戦争観」に紹介されている「ロンドン・タイムズ」紙の記事です。

冒頭に《国民新聞より転載》とのみあり、元記事が何月何日づけの国民新聞に載ったものか分からず、訳者の素性も分からず、もちろん(?)大本のロンドン・タイムズにいつ掲載されたのか、というようなこともさっぱり不明です。
ただ、そもそもロンドン・タイムズはトルストイの論文が最初に掲載されたところ。
そこに、早ければ同時掲載、遅くとも一月以内の掲載であろう、というぐらいの目処で考えれば、見つけるのはそこまで難しくもなかろうという気はします。
ですが、こちらもとりあえずは加藤氏の書籍に載っているまま文字起こしして、ここに載せておきます。

(フリガナは底本にないので、必要と思うものを勝手に(!)当方で振りました。あるいは読み間違いもあるかもしれません。)

(底本では文章に横線とか傍点とかがたくさん付いていますが、基本的には省略しました。)


トルストイの日露戦争論に対する倫敦『タイムス』の批評

《国民新聞より転載》

トルストイ伯の戦争論は、近来の大文章にして、実に、信仰の告白なり。政治的宣言なり。露国の兵士の苦悶の描写なり。而して同時に、奇なる心理の研究なり。此の論文を読むものは、また、トルストイ伯の如き、欧洲の思想を不完全に消化したるスラヴの思想家の、心的態度と、純粹なる欧洲諸国民の心的態度との間に、顕著なる相異の存する事を看取せざる能わざるべし。
第一流の文豪が、十三世紀の論理法と、近世の社会主義を混せ合せて、不調子なる議論を表白するが如きは、実に露国に於てのみ、なし得べき事なり。トルストイ伯は、其政論の根拠として聖書の句を用いると同時に、中世の煩瑣学派{下註}の凡ての独断と凡ての不合理なる議論とを信仰する人也。然るに、他方に於て伯は、露国正教の教儀を不合理なりとして排拒し、又一般歴史的基督教の信條を、独断なりとして否認するの矛盾を敢てす。
伯の説教の中心的思想は、流血を以て大罪悪となすにあり。然るに伯は人民をして、治者は凡て強盗なりと信ぜしめ、彼等を煽動して、最も恐怖すべき流血──即ち社会戦争を起さしむべきが如き言をなすを憚らず。
吾人は、伯の熱心と、誠実を疑うものにあらず。然れども伯が、其の描写を強くし、其の誹謗に力を與えんが為めに用いる言語文字の、度合を外れて激烈なるは、吾人また之れを認めざる能わず。識者は蓋し、伯の言を其儘に受け取る能わざるを感ずべし。
此の論文に於ける、識見の博大ならざる事、及び創見の欠乏せる事は、即ちトルストイ伯の思想の特色を示すものなり。吾人は之を読んで、伯の思想の限界と、欠点とが、此の戦争の危機に於て、如何に明白に暴露せられたるかを観察するを得たり。世界の現在の社会的及び政治的秩序を支配する主要なる事実を看取する能わざる伯の無能、現在の秩序を維持する人物及び制度に対する伯の敵意、及び其の破壊せんとする秩序に換ゆべき、新秩序を考案する能わざる伯の無識、此等の大欠点は、極東に於ける戦闘と敗北との報知の、伯の耳朶に到達するに従て、愈々著しく、愈々甚だしくなれり。伯は、人類の進化に於て、善は必ず悪に勝つべく定められたりとの確信より来れる、静粛なる大忍耐を、毫も有せざる人物なり。』
偏狭なる理想と、頑固なる論理のみを以て、人世を解釈せんとする議論家は、殆ど常に、人世の実際と矛盾せる結論に達す。トルストイ伯亦此種の議論家にして、凡ての戦争を絶対的罪悪となせる其の独断を根拠とし、其の偏狭頑固なる論法を以て、其の信仰と思想とを説教す。
伯は、日露の戦争に、直接にも間接にも、関係するを拒む事を以て、露国人民の道徳的及び宗教的義務なりとなし、それが為に、旅順陷落するも、莫斯科[モスクワ]占領せらるるも、聖彼得堡[サンクトペテルブルク]攻取せらるるも、そは問うべきにあらず、戦争に関係するを拒むの義務は絶対的なりと説き。更らに曰わく、帝冠を戴ける専制者も、田野を耕せる農夫も、義務の結果を考慮すべき権利を有せず。其の結果彼等自身の死なるや、将[は]た国家の滅亡なるや、固より知るべからず。其の孰[いずれ]なるも、そは決して問うべきにあらず。彼等は、彼等の義務を行わざるべからず。殺人を行うを拒まざるべからず。斯くせずんば、正義の王国は終に建てらるる能わずと。トルストイ伯はまた海牙[ハーグ]仲裁裁判も、欧洲協調も、ブロッホ{下註}の学説も、併せて之を排斥したり。』
伯思えらく、如何なる智識の播布も、如何なる制度の設定も、以て人類を救済する能わず。人は其生活の正しき指導者を失い、今の所謂指導者は、唯だ民衆を強いて、罪悪を行わしむるの勢力を有するのみと。伯は凡てのものを攻撃し、凡てのものを排拒し、何ものも、世を救うの力を有せずとなし、世は只伯の意見に遵[したが]い、伯の信仰を信じてのみ救わるべしと考う者の如し。伯は、所謂科学なるものも、教会の迷信も、毫も世を益するものにあらずと説く。露国の幾多の神学者が、今回の戦争に対して試みつつある、明晰なる卓見の批評を以て、トルストイ伯の、此の奇怪なる、夢幻的陳説に比せば、是れ実に著しき反照なり。
トルストイ伯は、露帝に対して、激烈なる攻撃を試みたり。曰く、海牙[ハーグ]平和会議の発議者は、他国の土地を強奪し、強奪したるものを防禦せんが為に武力を増加し、以て平和を保持せんとす。何ぞ其の成す所の誤れるの甚だしきや、一億三千万人の君主と仰がるる彼[か]の不幸なる若年の人は、絶えず欺かれて、殺人罪を行わんが為めに、其の軍隊に感謝しつつありと。伯はまた、戦争に宗教的意味を與えんとしたる教会の攻撃に向て、多大の力を費したり。
トルストイ伯は、今回の戦争の原因を説明して曰く、宮廷の野心家及び功名に渇したる武将は、人民を殺して其の慾望を達せんと決心したり。之れが為めに、不幸なる農民は、血を流さざるべからず。支那及び朝鮮に於て、行われたる凡ての悪事の犠牲に供せられんが為めに、欺かれたる人民は、極東の野に輸送せられて、殺戮せられざるべからず。而して戦争が長く継続するに従て、人民の殺戮せらるる事愈々多きを加うべしと。伯は斯の如く、戦争の原因を以て、野心家の行うたる罪悪にありとなせり。然るに奇なるは、伯が露国の侵畧[しんりゃく]的行動を以て、悪事なりと認識しながら、此の悪事に対抗して立ちたる日本の行為の攻撃に於ても亦た激烈を極むる事是なり。斯の如きは盖し、伯の議論の特色なり。
伯は問うて曰く、人民が、皇帝、大臣、僧侶、新聞記者、投機者等戦争の主張者に向い、汝等自ら進んで、榴弾爆裂し、銃丸雨飛する戦塲に出でよ。戦争は汝等の始めたる所にして、我等の関知する所にあらずと云い得る時は、何れの時ぞやと。伯また曰く、露国人民の多数は、戦争の甚はだ恐るべきを知る。殊に日本の武器が、露国の武器よりも、強烈なる破壊力殺戮力を有するを知る。然るに彼等が、尚お戦塲に向いつつあるは何故ぞ。是れ決して愛国心の為めにあらず。全く強制の結果なりと。
伯は、此の言を證せんが為めに、多くの書翰を引用せり。其の書翰は、若し実際露国兵士の一部分の感想を表白するものとせば、頗る興味多きものと云わざるべからず。
旅順の一兵士は、書をトルストイ伯に寄せて問うて曰く、
『我等の司令官は、我等に殺戮を行うべきを強ゆ。是れ神意に協[かな]うものなるや否や』。『世界に真理の存ずるや否やを教ゆる著書ありや』と。伯は兵士の思想皆な斯の如しとなすと同時に、露軍軍人中に愛国心を有するものは一人もある無しと論ず。此の言の大なる誇張なるや明かなり。然れども、一国民が、外国と戦争せる時に於て、国中の最大の思想家の一人が、斯の如き言をなすは、其の国民の愛国心の欠乏を表示せる、一大現象にあらずや。

《完》


※煩瑣学派……「スコラ哲学」の、かつての定訳。

※ブロッホ……ブロッホという名の著名人は多く、ここで引き合いに出されているのが誰のことであるか、確認できずにいます。

*****

一読して分かるとおり、トルストイ論文を大いに酷評する内容。

ここでの標題(= “倫敦『タイムス』の批評” という言い回し)を見ると、ロンドン・タイムズの社説か何かのように感じられますが、必ずしもそうとは限らないようにも思えます。
実際のところどうなのかは、元に当たらないうちは即断しないほうが良さそうだと考えています。

これが社説的なものなら、
「確かに元論文を載せはしたけど、それはそれ」
……という、ロンドン・タイムズとしての意見表明なのでしょうね。

あるいは案外、外部の有識者が寄稿した批判文が掲載されたというだけのことかも?

そういうことの確認も、今後の課題ということになるのかもです(^_^;)。

「酷評」の中身をもう少し検討するなら。
当時は周知のように日英同盟があり、つまり英国は日本の同盟国ですので。
「敵性国家」であるロシアを「ディスる」ような方向性が見られるのは、ある意味当然かと思います(ロシアを代表する大文豪がこんな論文を出すということは、ロシア人の愛国心の欠如を物語っている、というような記載など)。

ただ、この論はむしろ「トルストイ的な反戦論」それ自体への批判が主眼となっていて、そこが「興味深い」ところです。
( “凡ての戦争を絶対的罪悪となせる其の独断を根拠とし” なんて、現代の人間にはビックリものの「思い切った」発言です。)
当時の英国のエスタブリッシュメントにとっては、ロシアより「反戦論」の方がよっぽど主敵であった……などと考えることもできるかもしれません。
この論者がどういう人かも、さしあたりはよく分かりませんが。もし分かると「なるほど」という感じだったりするのかも。



《補足》

NYタイムズ紙の過去記事として、次のようなものが検索で引っかかりました。
(1904年7月10日)

私は「購読」していないので、冒頭しか読めませんが。
ひょっとしたら、これは本稿で取り扱った記事と同一の文章を、NYタイムズが転載したものかも?……と思いました。

We print this morning a remarkable paper on the Russo-Japanese war from the pen of the well-known Russian novelist, publicist, reformer, and humanitarian, Count LEO TOLSTOY. It is a curiously enlightening document, as regards both the writer and the Russia Institution. It is a confession of faith of one and a bitter arraignment of the other.