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抑うつをカミングアウトすることとは

蛇足)上記の写真は中学の時の「心の夢」として描いた絵。部屋から見ることができたらいいと思って描いた赤富士。たくさんの選択肢があるように見える開いた窓は、どこに行けばいいのかわからない。そんな心情だったと思う。

今日、焦燥感で応募してしまったワクチン接種のバイトを終え、今は録画していた箱根駅伝予選会を観ている最中だ。そして、あとはNCT127のシブヤノオトを観るだけ。

それはさておき、このタイトルにしたのは、気持ちがモヤモヤモヤモヤしているからだ。

抑うつなのにバイトって大丈夫かよ、ってみんなが言うけれど、自分でもそう思うが、決定してしまったからには、とりあえず行って、担当の人に抑うつのことを少し言って、持ち場を変えてもらえるか聞いてみよう、と思い、その通りのことをした。(その持ち場は前回の初回のバイトでやった持ち場である)

抑うつのカミングアウトは、いくら1日単位のスポットのバイトであっても、したかった。何も言わずに自分の気持ちと身体がついていくのであれば、カミングアウトなんてしなくてもいいと思う。でもしないということは、それによって負担が現場にかかるかもしれないし、私の身体にかかることでもある。なので、担当の人の反応は微妙なモノだったが(ポーカーフェイス気味だった)、ありがたいことに持ち場を変えてくれた。本当に感謝である。

なので、言ってよかったと思う。けれど、これを言うまで勿論考えはした。自分に負担がないように、仕事だけはしっかりとこなせたから結果オーライなのかもしれない。前回と違って頭痛はない。でも、とりあえず明日行ったら1か月は休もうと思う。

バイトに使う時間とエネルギーが半端ない。

書いてる文章も短くなるくらいには疲れているのかすらもわからないが、まあ、こんなもんだ。

明日のバイトも、まあ、どうにかなる。どうにかする。どうにかしてくれる。死ぬわけじゃない。そう思って、今も生きている。

カミングアウトって、状況と人によってするかしないか自分で判断することとだろう。だからこそ、カミングアウトして、「帰れ」、「お前の仕事はない」って言われることも覚悟した。それなら帰ろうと。

責任はあるから、自分のできることをした。ただそれだけのことだ。

でも、カミングアウトって、難しいことだって思う。それがどんなことでも、内容でも。

今の自分の気持ちが、「ああ、言ってしまった。自分はどう思われてるんだろう。」ってなっている、それも難しいと感じる。明日も同じバイトあるし。それでも、仕事はしっかりとやった。それだけで十分じゃないか。バイトは、心と身体が安定してから、向き合ってからやる、ということを学べただけで御の字だ。そしてあとは、貯金を崩すだけ。

とりあえず、シブヤノオトを観て、薬を飲んで、寝る。シンプルだけど、その生活の基本さえも酷かったと、今更ながら思う。

人にわからない程度に誤魔化してきたからなのか、それとも周りは気づいていたのか、どちらでも良いが、自分で気づけたことが一番素晴らしいこと。そう思うことにしておく。

先週くらいにやっと親に、本当に自分の身体がやばいんだと伝えることができた。親に一番話せなかった。一番わかってほしかったはずなのに。

その「親に話せない」という心の状態を、周りの信頼する人、SOSを出したら助けてくれる人に分散しながら言葉にして、話をさせてもらう度に緩和していけた。今もそんなに話せないが。

こんな感じで、人は選びながら、気持ちを分散させながらやっていくことも必要なのである。実践できてよかった。

結論、タイトルの疑問はこれからも模索していくことだと述べたい。答えを簡単に出しても。と思うから。祖母には、「あああ、それはしんどいでえ。」と諭された。つまり、深く考えて、気づく限りの物事を繊細に捉えるのは、生きづらい、というお話だ。それでも、しんどくても、気づかない人、助けない人にはなりたくない。これが自分の中で貫いてきたことだ。これだけはそう簡単に崩せそうにない。楽にはなりたいけど。

とにかく!みんな、シブヤノオトを一緒に観よう。世界は一つ。同じ空の下で、シブヤノオトを観るのである。これ寒い?

これを万が一見てくれている人がいるなら、暖かくして過ごそうと伝えたい。こたつももうそろそろ出した方がいいかもしれない。ネックウォーマーやマフラーも出して。暖かくして過ごしましょう。今時、防寒し過ぎても困ることはない。暑く感じるなら脱ぐだけだから。寒いのはさみしくなる。自分の身体がどんな寒さでも暑さでも耐えることができると自負しているなら話は別だけれども。

ということで、シブヤノオトを一緒に観ましょう。



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