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お気に入りがこんなにも重量のあるものだったなんて

ものが壊れてこんなに悲しみに暮れたことはない、そう思う自分はろくでもない大人かもしれない。

お気に入りのグラスが割れたのは、このあいだで2度目だった。琥珀と萌黄、そう名付けていたふたりは、オレンジとグリーンのまるいペアグラスだった。内部に閉じ込められた気泡のデザインを眺め、手にしっくりと馴染ませながら悦に入った。おだやかに、ひそやかに。

萌黄が割れたのは食洗機のなかだった。ほかのグラスとかち合って、いとも簡単に破損してしまったのだ。カチ、と軽すぎる音しか聞こえなかったのに。自分でも信じられないほど取り乱して、涙が止まらなくて、不慮の事故では到底片付けられなかった。

萌黄がパートナーのものだったから?
人のものとは思えないほどお気に入りだったから?
自律神経がたまたま乱れていたから?

どれもこれもしっくり来ない。ただ悲しみからトラウマとなり、琥珀を使い続けるのが苦痛になり、あげく食器棚にしまい込んだ。使ってあげるほうが琥珀は喜ぶよーそんなパートナーの言葉には、尚更涙があふれるだけだった。

·····

ほとぼりが冷めたころ、ふとしたきっかけで琥珀が私の手元に戻ってきた。ふたたび使いはじめると、やはりお気に入りだということを実感させられた。中身がなんであれ気分が向上した。デスクのうえにいるだけでいい。琥珀を長らく眠らせていたことを後悔するほど、おだやかな日々だった。

うたたねしてしまうような陽気の午後、不吉なときはおとずれた。私は自らの行動によって、愛する琥珀もまた失った。パートナーとのいさかいに、耐えられなくてデスクを蹴ったからだ。琥珀はいつものようにそこに居ただけ。

落下し割れるのは一瞬だった。終わりはどんな人生も、瞬く間におとずれる。破片がリビングのフローリングに散乱する。いさかいで頭に血がのぼっていた私は、まるで琥珀の代わりのような叫びを上げた。

ひとことで言うと、狂気の沙汰だった。衝動を抑えられなかった自分への恐怖と、後悔と、悲しみで、もはや無心の境地で破片を片付けた。後にも先にも、これほどまでに心を引き裂かれるような体験はしたくない。琥珀が床に落下するリフレインとともに、萌黄がパリンと音を立てた感覚が蘇る。風呂場でまたフラッシュバックして、石鹸の泡ととめどなく流れる涙を同時に排水溝に流した。

··········

思えばものへの執着心がそもそも薄く、こだわりの少ない人生だったうえ、お金のありがたみを知ったのもごく最近だ。というのも、萌黄と琥珀は仕事が変わり低収入になったなかで振り絞って買い合った新築祝いだった。

あらゆるものへのありがたさ、パートナーとのこれから、そんな気持ちが私の「お気に入り」という感情を作り上げたに違いない。言葉の真の重みを知った、人生34年目。

焦がれるような「お気に入り」は、また私の元へ現れてくれるだろうかー

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