感受性とHSP
昔はとても明るい子だった。そのピークは小2で終わった。
そしてよく「感受性が豊かなんやろうね」と言われていた。
いつどこで言われたかは、全く覚えていない。
でもきっと、悪い意味では言われていなかったんだと思う。
それが、大人になるとその「感受性」が、いろんな場面でかなりの足枷になった。
人より感じる喜び、悲しみ、痛み、憎しみ。
それが自分の心を壊すきっかけになったこともあったし
絵を描くエネルギーにもなったりした。
そんなことを繰り返しているうちに、疑問を持った。
感受性って、本当に良いものなんだろうか?
何か人と付き合いずらい。
それとなく合わせることができない。
この人私のこと下に見てるよね。
いいように使おうとしてるよね。
どうして周りの人たちは、うまく合わせていけるんだろう?
全然分からなくて、この頃にはすっかり
「そっち側の人」になってた。
そのうち「繊細さん」と呼ばれ、後に
HSPと呼ばれる気質が話題を呼んだ。
何か当てはまらないし、私は違うだろうと思っていたけど
さらに分類分けされたHSEには、ドンピシャにはまった。
この時、初めて救われた気がしたんだよね。
私だけじゃなく、他にも同じように悩んでいる人がいるんだって、その真実だけで救われた。
そして、その気質が世間に知れ渡ることが、
今のまでよりも少し生きやすさに繋がる気がした。
あぁ、社会不適合じゃないんだ。弱いんじゃないんだ。
「気の持ちよう」なんていう大雑把な精神論で貼られた[社会不適合のレッテル]を
ベリっと引き剥がされた感覚がした。
調べてくれた賢い人に、心から感謝。
今は、何となく第一印象で感じる違和感を信じているし(大体当たる)
周りの人が言う「いい人」は、自分にとってもいい人とは限らないことも分かったし
逆に、周りの人が敬遠する人に違和感を感じなければ、話してみると大体いい人だったりして
「百聞は一見に如かず」を体現しているように思う。
辛い思いはたくさんしたけど
お陰で今は周りには近しい人が多い。
何かを創る人は、圧倒的にHSPの方が多いからかもしれないけど、理解してくれる仲間がいる。
それが今は幸せ。
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