夏休みから、立場の多様性を考えてみた。
朝6時半に起きる。
家を出るのは8時20分。
子どものお弁当と、自分のお昼ご飯を用意し
子どもの服やら何やら、自分の着替えやら化粧やらしてたら
かなり時間ギリギリやった。
少し余裕あると思ってたのに😓
寝起きでは俊敏に動けないのかも。
明日から6時に起きよう。
子どもが小学校に入り
自分的に「休み」と呼ばれる日の方が
勤務日よりも忙しいんじゃないかと思う。
自分に使える時間は1/3に
掃除や、出かける時の準備などの常日頃の時間に1.5〜2倍とられるようになった。
「時短」とか「手抜き」とか「効率よく」とかを検索することが増えた。
生活は、変わることを余儀なくされるけど
それに合わせて、社会はどのくらい変わったのかな。
大して変わらない社会に、ライフイベントごとに必死でシフトしていかないと、置いていかれてしまう。
そして、うまくシフトできなければ
「みんなできているのに」と言われる。
みんなもできているわけじゃなくて、かなり無理して頑張っているんだと思うよ。
シフトもできないんじゃなくて、ちょっと不器用だったり要領悪かったりで
ライフイベントでそこが開いてしまうだけなんよ、きっと。
それで、ギリギリで歯を食いしばってる人も「できてる」うちに入るから
できない人がマイノリティとされる。
頭がよくても、解ろうとしない人もいれば
独身でも、子を持つ親の気持ちに寄り添おうという人もいる。
…
私的結論↓
少しの「寄り添う」気持ちがあれば
社会は少しずつでも、立場の多様性を受け入れていくと思われます。
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