Cadre話譚「角人と泡沫」:1

case0:邂逅



1:所長の特命

それは今から約5年前のこと。チームノーンは普段通りに依頼仕事でバタバタと忙しい中、所長であるジョーがニコニコしてバブルスに呼びかけた。

「なぁボブ!来週の水曜日に特別所員を雇うんだけどさ、お前に教育係を任せたいんだ。」

その声を聞いたバブルスは、依頼書類をランク毎に分別しながら応える。若干眉間に皺を寄せながら。
「…はぁ?」

「お前の評価に加点できる良い機会になるんだぞ〜。食わず嫌いしないで試しに見ようぜ。」

バブルスはつい1週間前に要処分リストから外れ、ブラックリストに減刑されたばかりである。

ジョーはいつも通りの笑顔を見せ、徐ろに分厚い封筒を渡してきた。バブルスはそれを渋々受けとる。

B4サイズの角封筒の中には書類が綺麗にクリアファイルに入れられた状態で詰まっている。丁寧に封止めされていた形跡もある。
「ふーん…几帳面なのか?」

封筒から残り香のようにほわっとした魔力の残滓を感じ取る。陽光のように暖かく優しい純粋な魔力だ。

まず封筒の表面には、『(社外秘)99%純種の絶滅危惧種です。保護監視の為に所属させてください。』と、でかでかと赤い文字で警告文が書かれていた。しかも三千界連合の印がある。

三千界連合は多くの世界の有力者が集結した連合政府だ。
各世界の統治の他、共用通貨の発行、言語統制、有益な数々の研究なども行っている。しかし、裏では何かと黒い噂が絶えない。

だからバブルスは動揺した。書類の表紙に赤い文字が記載されるケースは全く無い上に、連合が絡むと大体ろくな事がないと熟知しているからだ。
「なあ天使サマよォ…尚更ボクに任せちゃダメだろ、これ。」

それでもジョーはニコニコして見ている。
「まあまあ、読み進んでから判断しような。」

バブルスは仕方なく履歴書を取り出す。顔写真の印象は想像よりも幾分か幼い、色白で銀髪青眼の少年だ。それなりに整った顔立ちでやや長い前髪で隠れているが、額に角のような突起物がある。

『エルダー・アレーナ(男)年齢:120歳(人間換算:12歳)種族:有角人 家族:兄、婚約者(人間)』

(ふーん、有角人か…義勇軍にいる総合オペレーターの…2本角の彼奴が真っ先に連想されるけど、なんか似てるし兄弟なのか?そういや100年くらい昔か…連合に保護された親子の噂があったな。)バブルスは色々と思考をめぐらせながら読み進める。

『種族特性:魔力、生命力の自然治癒速度が通常の2倍。直射日光、月光下で4倍に増加。よって自然光が届きやすい場所で休息を摂ることを推奨。固有能力(仮定):他者の夢に干渉する能力を確認。精神に影響を及ぼす可能性高。武器:サーベル(現在はバタージャ門下生)魔導士適正:Bまだ幼体だが総合面でポテンシャル高。』

種族特性は凡庸な人間にはない、種族としての個性だ。その種族に最も相応しく出来ているので、非常に有用な物が多い。エルダーの場合…余程のことがない限りは、魔力と生命力が尽きることが殆どないということだ。

しかしバブルスはそこより別の方に目をつけた。「バタージャ…シェイド家の流派…。となると婚約者ってあのレガーナお嬢か?あのわんぱく娘とどうやって知り合ったんだ…」と、ブツブツ呟きながら次々と読み進める。

全体的な能力値、魔法、性格面(連合調べ)、経歴等…
そして、ある項目に目を付ける。「ん…分かった。教育係とは言わず、バディを務める。」

彼が来るまでの5日間、宿舎の部屋の掃除や書類の作成、所員への情報の共有等、受け入れの準備をしていった。

2:荷運び

エルダーが来る水曜日。

「こ、ここでいいですよ…ね?」やけに大きいトランクケースを載せた、キャリーケースをガラガラと引きながら事務所にやってきた。丸く削られた角と羽根を持つその少年は、どことなく妖精のような不思議な印象があった。

秘書であるジェエルが迎える。「どうも、エルダーさんですね。まず手続きをするので窓口にどうぞ。書類を書き終えたらお荷物は宿舎に案内します。」

「は…ひっ!?」エルダーが窓口に行こうとした途端、ビクッとしてドアの陰に逃げ込んでバブルスを怯えた目つきで見る。エルダーは角を通して、エネルギーの波動を察知できるのだ。

バブルスには果てしなく暗く、邪悪なモノが取り憑いている。それは見てはいけない、知ってはいけないこの世の深淵を覗いてしまいそうな、本能的な恐怖を与える何か。
そんな感じに角が捉えていた。

そして、彼はジョーが持っている刀もチラッと見ていた。こちらは害意、戦意、殺意、狂気が渦巻く赤い力。だが同時に刀から神性を感じ取ってもいた。

エルダーは勇気をだして、妖精のような羽をブルブル震わせて話す。
「ぶ…不躾で申し訳ないんですが、あのメガネの人…大丈夫ですか?しょ、所長さんのその刀も…赤くて怖い気配がするんです。」

ジョーはむやみに近づかこうとせず、デスク越しに話す。自分を親指で指さし、口角を上げて白い歯を大胆に見せ、いつも通りの眩しい笑顔を浮かべる。

「ハハッ、まず紹介な。所長の俺はジョー・ナンス。気軽にジョーって呼んでいいしタメ口も気にしないから、遠慮なく楽にしていいぜ。
で、メガネの方はバブルス・デュー。
依頼や情報を取り扱うプロだ。ちょっと訳ありなやつだけど、俺がいる限りは大丈夫さ。」

エルダーは刀を怯えた目で見つつ、話に対して相槌を打つように頷く。
「ははぁ、俺の刀がそんなに気になるか?むやみに触れようとしなけりゃいいんだ。」

エルダーはその話を聞いて少し警戒を解き、バブルスを凝視しながらゆっくりと歩み出す。
「う、うん…レガーナさん達が推薦してくれたんだ…大丈夫なはず…。」

カウンターに着いても、なんだか羽が垂れ下がっていた。契約書類へのサイン、個人情報登録等、マニュアル配布などの一通りの手続きを済ませた。その後、バブルスは彼から1歩離れた距離まで近づき、少し屈んでエルダーの目線の高さを合わせ、そっと手を差し伸べる。

「あの青天使が言ってたけど、ボクはバブルス。お前の教育係を務めるんでよろしく。荷物、一緒に宿舎に持ってくぞ。」

エルダーはやや遠慮がちにトランクケースを指す。「え、えーと…キャリーバッグに貴重品類が入ってるので…トランクケースをお願いします」

バブルスはそれを聞いて、ほっとしたような表情をしていた。「ん…教えてくれてありがと。」

彼はトランクケースをやや重そうに持ち、エルダーはキャリーバッグを引いて、ジェエルの案内に従って宿舎に向かった。

事務所と直結している宿舎は、モダンな雰囲気の良質なアパートだ。

色とりどりのマークが各部屋のドアについている。
「一応用務員もいますが…基本は当番制です。
共用設備は綺麗に扱ってください。」

水色の星印がついたドアの前に着いた所で、ジェエルはポーチから円柱型の鍵を一つ取り出し、エルダーに手渡す。

丸い鍵穴に差し込むタイプのシリンダーキーだ。宿泊施設にあるような水色の角柱型のルームキーホルダーもついている。

「こちらが個室の鍵です。必要なものがあれば私達に言ってください。あと、宿舎には他の特別所員がいますので、あまり騒がないようにお願いします。」

エルダーはそう言われてから鍵を開けて、部屋を見た。

部屋は約30㎡の1DKでテーブル類、テレビジョン、冷蔵庫、クローゼット、ベッド等の家具が揃っている。

都市部でこのような部屋は15,000G相当の家賃がかかるのだが、このギルドでは半額以下で済ませてくれる。

「わぁ!」エルダーは持ち込んだ荷物を部屋に入れてから、窓を開けたりトイレや風呂を見たりと、少しだけ子供らしく愉しげに個室を見て回る。

ジェエルはそんな彼の満足そうな顔を見てから、軽く会釈して事務所に戻った。

その後、エルダーはトランクケースやキャリーバッグを開け、荷物を丁寧に取り出してはクローゼットにしまい込む。

バブルスは彼の荷物整理を手伝うことにした。
この服はどこに入れるかとか、武器の置き場所はどうするかとか、ちょくちょく相談しながら手伝う。

整理している最中、バブルスはそれなりに使い古されたサーベルに目をつけた。丁寧に手入れされているのを見て、少し感心したような顔をしていた。

一通り整理を済ませたあたりで、エルダーに声をかける。「エルダー、ちょっといいか?」

エルダーは少し驚き、やや不快そうに自身の耳を触る。 「んぎゃっ。な、なんでしょうか…。」

バブルスは全く顔色を変えずに続ける。「明日は新人教育のプログラムがあるから、朝10時に事務所に来い。あと僕の部屋は左隣の紺色だからな。」

エルダーはどこか不思議そうに少し首を傾げる。「え…わ、分かりました。」

バブルスは部屋から出てドアを閉める間際に、少し眉間に皺を寄せて、エルダーを見つめる。「いいか坊ちゃん。ここじゃあ…見た目は普通、中身が化け物な奴なんか珍しくねえんだ。」

そう言い残して、バタンとやや乱暴にドアを閉めた。エルダーは最後まで不安そうに見ていた。
「違う。違うんだ…僕が怖いのは、取り憑いている何かなんだ…。」