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月曜日がきてしまった。私今日は女だから

月曜日がきてしまった。

朝は7時に起きてあいみょんと菅田将暉の『キスだけで feat. あいみょん』を眺めながら30分の運動をした。いい歌だね。”キスだけでここにきたの”というのが切ないね。いいね。あいみょんのキスはどんなキスなんだろう。

近所の神社に夏詣でをして、ダーリンの新しい仕事とわたしらの健康を祈ってきた。手水舎に紫陽花が浮かんでいて、きれいだったな。夏のお祓いっていい言葉。 

夕刻になって、はじめて世田谷線に乗った。松陰神社で知人が一日店を出している。ダーリンと行こうと思っていたが、そうそう、ダーリンのいない夜がきてしまったのだ。だから書く。

片道1時間程度の距離なので移動時間に木皿泉『カゲロボ』を読んでいく。木皿泉作品は『さざなみの夜』『昨日のカレー、明日のパン』と続いて3作目。大切な誰か何かがポンポン失われていくので毎回泣いてしまうのだけど今回はもっと先の話だった。泣くことでどうにかなるようなわけじゃない、人の運命や時間、逆らえない何かと戦う人の話で、読み終わったいま、胸の奥がちょっと苦しい。

知人の店はスナックの一日店長というやつで、最近都内でちらほら見かけることが多い。客同士も店長の顔なじみになることが多くって、知人の知人は知人、という現象も起こりやすい。メニューも決まりがないので、誰がやっても好きな空間だ。

彼女の仲間には書き物をする人が多いようで、となりに座った女性もそういう仕事をしているらしかった。世田谷線のことを「セタセン」というのを教えてもらった。なんだか立派だなあという感情が沸き起こってハイボール2杯で2時間して席を立った。有意義な気分のまま、ぎらぎらするばかりが生きているわけじゃないんだろう、そんな反省と陰りをお腹のあたりで感じていたかった。

帰りは帰りで歩いていける距離に古本屋さんがあって、21時前によって来ることができた。徒歩15分の距離で思い出すのは今朝聞いたばかりの『キスだけで』。

「女だから」っていうけど、女ってなんなんだろうね。生理きてるときばかりが「女」じゃないだろう。女ってなんなんだろう。もっと女だからわかるキスがあるんじゃろうか。キスばかり気になる。

閉店間近の古本屋は昔ながらのタイプで、店主らしき爺ちゃんが店内をうろっとしていた。開いている灯りがありがたい。ありがたいついでに均一棚から時代小説『瓦版屋左吉綴込帳』をぬきとる。店主は客が来たのがみえたようでレジ横に戻ったようだ。お互いに観測している。

店内は写真系のエロ雑誌、SMクラブなんてのも平積みにおいてあっていかにも「女」だなあって思う。「高いところにある本は脚立使って!」って声かけてくれたので、もう隅々までみてしまった。もう一冊興味深い掌編があったので購入。『巷談 本牧亭』。店主さんが「有名な本だったよ!」と教えてくれた、よかったのかい300円。

最後に『カゲロボ』の話。1980年、都心の通勤電車で痴漢に遭う描写がある。それまでの男性社会での女性に起こることはもう理不尽なことばかりで「おそらく人間だと思われていなかった」っていうひと言の重みにわたしは、無力を覚えてしまった。でも、小説が言いたいことはちがくて「つらい思いしても分かってくれる人がいるよ」っていうことなんだ。

分かっていたい。

そろそろダーリンが帰ってきてくれる時間だ。何の話をしよう。何の話を聞かせてくれるんだろう。