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幸せになることへの恐れ

私たちは、本当の自分に還ることで、どんなに幸せな心地でいられるのか、を本来的に知っています。



知っているからこそ、そうではないことに悩み、苦しみ、嘆くのだと思います。



しかし、その状態から、恐れの無い状態になりたいと思い、行動する人は勇気ある人です。



反して私たちは大人になるにつれ、たくさんのまだ見ぬ恐れのために、自分自身を追いやっています。



本当にやりたいことや、本当の望みは何か、と聞かれても、自分の責任やルーティン以上に情熱を保ち続けられない程、私たちの自我は弱いものなのかもしれません。



自我が弱まっているからこそ、他人の成長も幸せも祝福することが難しい世の中にも感じます。
常に自分を守るため、同調圧力、他者を嘲ることや見下す態度は、自分自身を本当の理解に導くことを妨げているように見えます。



自分自身を大切に扱うこと、自分の内側を見つめることは、自身の幸せへの道であり、それは関わる人全ての幸せ、大切な誰かの幸せ、知らない誰かの幸せに波紋のように広がっていく。



自分の内側を見つめることは、多くの人にとってとてもしんどいものです。
自分の良い性質ばかりではなく、弱さや、苦しみを見つめていくことは、とても辛いプロセスですから。しかし内側にある、その感情はとても大切なもの。


そしてそれを追いやるように、人は幸せというものが数値化されるものだという信念を作り上げ、本当の望みを見えない場所へと誘うのです。
みんなそうやってるんだと、自分を思い込ませてながら。



しかし、いくら物の尺度に置き換えても、満ち足りることは無いかもしれません。



たくさんの物を持つこと、たとえ物質でなくとも他の人が得られない境地や知識(学歴など)を持つことも、もし、それが自分自身に還元出来ないならば、物の尺度のうちにあるもの。



物を持つことが良くないと言っているのではなく、物が幸せにしてくれる時代を享受したならば、今本当に心から執着はなくなり、満ち足りているはずです。
物に満足出来ないならば、本気で満たされるまで集めても場合によってはいいのかもしれない。



ありとあらゆる思いの全てが自分自身に取り戻され、還元されるとき、恐れを越えて本当の幸せは自分の中に見出せるもの、なのでしょう。

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