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音楽に特定の情景がこびりついてしまう病

CMや映画で使われたクラシックが、その後聞くたびにその情景がセットで思い出されてしまう病気がある。

アルトバイエルンのジューシーなソーセージ以外、なにも思い浮かばないタイトルが全然わからない曲。
(ニュールンベルクのマイスタージンガー〜第1幕への前奏曲)

空中に浮いた少年と巨大ロボットが並ぶ情景がちらつき、年末感と終末感で頭がいっぱいになる、あの曲。
(交響曲 第9番 ニ短調 Op.125「合唱」 第4楽章)

これらは、きっと同じ病気に侵されてしまった人は多いだろう。

けれど、個人的な記憶に紐づいた、自分だけの「音楽に特定の情景がこびりついてしまう病」を患っている人も、多いのではないだろうか?

たとえば、わたしの場合はこんな感じだ。

ベートーヴェン ピアノソナタ第8番「悲愴」第2楽章という曲。

わたしが子どもの頃、コカコーラの懸賞で当てた真っ赤なキーボードにプリインストールされていた曲だ。

当時の陰気な気分にドンピシャでヒットしたこの曲を、わたしは何度も聴いて、ガイドの赤い点滅を見ながら弾いた。

だからこの曲を弾くと、ブルーな気分にさせる曲なのに、わたしの頭は、鮮やかなコカコーラレッドで染まる。

わたしにとって悲壮は、コカコーラレッドの曲だ。

次は、ブラームスの「ハンガリー舞曲 第5番」。

これは、小学校高学年の音楽の授業の合奏でアコーディオンを担当した曲だ。

耳にすると、抱えるのが精一杯だったアコーディオンの大きさ、曲調が激しくなるたびに、蛇腹の方を動かす腕力が追いつかず、腕の筋肉がガッチガチになったのを思い出す。

基本、早いペースで演奏が進むなか、ゆっくり静かなところにさしかかるとホッとする感じ。それでも蛇腹を左腕で外に引っ張るとき、オラアアアッ!!!と全身を震わせて必死にやっていた、あの感じ。

わたしにとってこの曲は、左の上腕二頭筋が硬くなる曲だ。

世界にはたくさんの人がいて、生きている間にこんなエピソードを聞くチャンスもそんなにない。

でも、それぞれの人に、そういう他の人にはまるで共有しようのない、その人だけが感じ取れる、世界でたったひとつの「曲の印象」がある。

そして、大抵の人はそれを誰にも伝えることなく、今日も世界では魂が出たり入ったりしている。

それを想像すると、世界の豊かさともったいなさを感じずにはいられなくて、思わずときどき人に訊ねてしまう。

「え…?突然なんでそんなこと聞くの?」

ああ、驚かせてごめんなさい。悪気はないのです。

ただ、わたしは人のこういう秘密の箱を開けてもらうような話を聞くのが、好きなんだ。

あなたの思い出に紐づいた、自分だけの「音楽に特定の情景がこびりついてしまう病」は、なんですか?


自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。