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パルワールドが許される世界と許せないわたし

 パルワールドがリリース3日で売り上げ400万本を達成したそうです。すごいですね。私は当初から「明らかにポケモンに酷似しているデザイン」に疑問を感じていました。しかしながら、こういった「パクリ」を前面に出したゲームは内容がついてこないことが多く、売れずに静かに消えていくので問題にする程のものでもないだろうと思っていました。しかし、今回はそうではありませんでした。

 発売前の先行プレイから絶賛の嵐でそのままの勢いで一気にトレンドになり、注目度が高まるにつれて批判や嫌悪感を表明される方が増えていきました。不毛な罵倒合戦も散見されるようになり、SNS上で健全な議論はおそらく望めないでしょう。友人知人の多くが楽しんでいる状況で、それを否定するような事を投げかけて彼らに嫌な気持ちを抱いて欲しくありません。そんなわけでこういった話をする場がないので、こうして文字に起こして気持ちを落ち着かせようと思いました。

 誤解されそうなので先に書いておきますが、私はこの文章を通じて「私が正しい!パルワールドは悪だ!法的に罰されるべきだ!」と言いたいのではありません。私の周りはパルワールドを楽しんでいる人が大多数で、私がマイノリティであることは明白です。したがって世論としては容認する方が普通で正しいのだと思います。
 肯定・否定どちらの側であっても考えを他人に強要するのは永遠に分かり合えない無意味な行為なのでやめてほしいと思っています。


パルワールドの何が許容できないのか

 ゲームとしての評価は大好評。実際遊んだ人たちが面白いと言っているのですから、それについて反論する気は一切ありません。しかし、私は本作には受け入れがたい要素があり好きにはなれません。「私と同じように考える人が世の中には多くいて、ユーザ側のモラルによって自然淘汰されるだろう」と考えていました。でも現実は違いました。

①パルがポケモンの出来の良いコピーである

 パルワールドの何が許せないのか、それはモンスター(パル)のグラフィックデザインがポケモンに酷似していることにあります。本作の酷似具合は「流用」と言っていいレベルであり極めて悪質だと感じました。
 擁護意見として「過去にも似たようなコンセプトのゲームはあったが許されている」というものがあります。その大半がゲームシステムについて触れておりこれは私の論点とは関係ありません。グラフィックデザインの例として唯一曖昧なラインだと思ったのは「TemTem」でした。私はTemTemのバッカーで30時間ほど遊んでいます。程度問題なので例に挙げられた人の共感は得られないでしょうが、改めて確認したところTemTemのデザインは今回ほど酷似はしていないと感じました。プレイしている当時も正直ポケモンの劣化コピーという認識で、元も子もない話ですがゲームとしては面白く無かったのでそれほど話題にならず、問題にする必要もなかったわけです。(久々に見たら結構売れてるっぽいですね、あくまでリリースされた2020年頃の話です)

 パルワールドの問題点は、ゲームとして面白い上にパルのデザインがポケモンの出来のよいコピーであることなのです。パルとポケモンのぬいぐるみを並べられたとき、ポケモンを少しかじったくらいの人に見せたらどちらが「ポケモン」なのか判別できないのではないでしょうか。まるで特定の絵師の絵柄を学習したAIの生成物のようです。
 ゲーム部分が面白くて評価されているならこんな見た目を寄せなくても戦えたし、手放しで称賛していたと思うのでとても残念です。

 3Dモデルについて盗用(トレス)を行っているのではないかという指摘もあります。現時点で真偽はわかりませんがこのような疑惑が出るほど似ているのは、パロディだからと笑い飛ばせる限度を超えていると感じるのです。公式より明らかに不細工だとか、バランスが悪いとか、そういう「劣化コピーだから笑える」のが私の思うパロディなのですがそうではない人が多いようです。


②悪質なマーケティング手法

 本作の話題の足掛かりがポケモンであることは明白で、それについて異議を唱える人はほとんどいないと思います。この炎上商法と言ってよいマーケティングは結果として成功しているのでビジネス的にはお上手ですねとは思うものの、クリエイターとしては外道で称賛することができません。
 私は本作を実際には遊んでいません。まず買うことが幇助になってしまうと考えているからです。先行プレイから数十時間実況動画をながら見したので雰囲気は掴んでいるものの、具体的に実際ゲーム内に登場するモンスター『パル』がどのようなデザインなのかは把握できていません。「法律上の問題がないかチェックを行った」と開発者が発言しており、PVに存在した問題になりそうなデザインのモンスターは除外されているという話もあります。SNS上でやり玉に挙げられているあからさまなものは無くなっているのかもしれません。
 しかしそんな対応をすることからも、パルワールドはポケモンという30年かけて育て上げられたコンテンツの力を使い利益を上げたことが明らかです。法的には問題なかったとしても「ズルい。こんな手法を許していいのか?」と思ってしまうわけです。

③売れ過ぎた

 他人のふんどしでお金を稼ぐのはある程度は目を瞑ってもらえることが多くあります。同人誌をはじめとした二次創作がその最たる例でしょう。TemTemの件でも触れましたが、話題にならなければ自然に消えていくのでモラル・法律両面において問題にされないこともあると思います。今回は他人が長年かけて育てたコンテンツ(繰り返しますが今回の場合はグラフィックが焦点)を利用して大きな利益を得て話題となり、広く認知されてしまった。フリーゲームや本家の目に触れないところで楽しむ分には問題ないと思いますがこうなると話が変わってくるのではないでしょうか。
 無関係の人間の嫉妬だという意見が散見されています。そうかもしれません。ただ「羨ましい」ではなく「ズルい」と感じるのは「私のモラルでは許したくないライン」を超えているからで、これは私の信条に起因するものですから議論の余地はありません。

正しくても許したくない理由

 肯定派の人たちが言います。

  • 当事者が問題だと言っていないから問題ない

  • 面白ければ何でもいい

  • 売れたという事実から勝者であることが明白

 ごもっともです。冒頭にも書いたとおりあなたがたがマジョリティであり正しいのが今の世の中です。でも、今回のようなことを許したら、僕のようなゲームを探し回っている人はとても困るし、なんだか嫌な未来が見えてしまうのです。

レッドオーシャン化したインディゲーム業界

 私は2013年にTerrariaを買い、Steamデビューをしました。当時のSteamは母数が少なくすこし探せばすぐ面白いゲームが見つけられました。インディゲームという言葉が認知される前のことです。年間200本以上のペースでゲームを遊んでいた時期もありインディゲーム界の躍進を確信していました。幸いなことにお仕事的な関係もあって年間500本近くのタイトルに手を付けるほどのめりこんでいました。

年間リリース数の推移。2013年は435本、2023年は14532本

 インディゲームという単語が世の中に浸透し始めたころ、大量の低品質ゲームが出現し始めました。低予算のゲームで儲けるチャンスがあるということでチャレンジャーが押し寄せたんですね。そして作り手としてのプライドは無いのかと思うようなユニークさのかけらもないコピーゲームやアセットを組み合わせただけといった低品質な作品が一気に増えたのです。近年ではAI生成絵を使ったゲームも増えていることもあって、母数が膨れ上がったインディゲーム界隈は個人がSteamを眺めているだけでは良い作品を見つけられない、良い作品を作っても見つけてもらえないレッドオーシャンになりました。2023年の年間リリース数は14000本を超えており、もはや手作業で自分に合ったゲームを探すのは至難の業です。

倫理観の低下はレッドオーシャン化を加速させる

 このような状況で新しいゲームをリリースする開発者にとって、まず「知られること」は何よりも重要で難しいことです。だからそのためにはなんでもするんだというのは、商売人として正しくパルワールドを送り出したポケットペアは本当にうまくやったと思います。
 インフルエンサーやメディアにゲームキーやお金を渡して宣伝してもらうのも何一つ悪くありません。開発者にだって生活があるので成功するためにできることは何でもやるべきです。でも、グラフィックデザインを流用するのはやっていい限度を越えてると思うのです。これまで暗黙の了解で作り手が守っていたラインを「法的に問題ないから」とやってしまった。ある意味コロンブスの卵的な発想と言ってもいいかもしれません。
 しかし、今回のような手法を許すことはNo Man's Skyで問題になった「虚像を使った期待を煽る宣伝手法」を容認することと同じにならないでしょうか。アーリーアクセスを理由に認知度を高めるために悪質なパロディで宣伝を行っても、正式リリースまでにフェードアウトさせればオッケーなのでしょうか?今回のようなグレーな手法を許すことは、作り手側の品質や倫理の許容ラインを下げレッドオーシャン化をさらに加速させるのではという危機感があるのです。

 今回の問題は、アーリーアクセスという仕組みが開発者に有利すぎることにも原因があると思うので、リリース時点で完成度がどれくらいなのか明示させたり、全体像やマイルストンの提示を義務付けるなど、もう少しユーザに優しい仕組みに変えてほしいです。やってることはクラウドファンディングと同じなのに何の義務もないのは甘やかしすぎだと思います。

監視役不在のゲーム業界

 昨今の多くのゲームメディアは、ゲームタイトルをただ紹介するばかりで、記者や所属団体の意見を組み込んだ記事を見かけることは少ないです。自力でゲームを探すのが困難になってきた頃から私は将来ゲームのライブラリアン(キュレーター)が求められる時が来ると確信し、ゲームメディアがその立ち位置になってほしいと思っていました。ただゲームを紹介するだけではなく、公の組織に属する記者個人が見える批評のあふれる時代が来てほしいと思っていたのです。
 しかし、実際はそうはならず現実はインフルエンサーやYoutuberがその役割を担うようになりました。「この人が面白いと言っているから良いゲームなんだろう」という効果については良いのですが、ゲームの内容そのものをまじめに評論している人は少なく、演出で面白く見せる傾向が強く「結果的に面白ければ良いゲーム」という乗りと勢いが重視される流れの後押しとなっているように感じます。ネガティブな意見が敬遠されがちな昨今では難しいかもしれませんが、大きな話題になったパルワールドの意匠問題及び作り手の倫理観については、ぜひゲームメディアやインフルエンサーにも議論していただきたいです。
 大手の新聞・TVが政治や情勢の監視をしてきたように、業界を監視する立場が出てくればいいなと思います。今はユーザがその立場なのだと思いますが売り上げという結果でしか影響を与えられないので、売れたからOKみたいな風潮になっているのかもしれません。脱法ギャンブルである「ガチャ」を咎められず、それに迎合したスマホゲーへの傾向が日本産売り切りゲームを衰退させた(個人的見解です)ように今回の件が悪い方向に進むきっかけにならないことを祈っています。

日本産IPが海外の大資本に掠め取られてもいいの?

 今回の件を許していると、いずれもっとお金をつぎ込める企業が現れてポケモンに限らず日本で生まれ育てられたコンテンツが掠め取られることを許すことにはならないでしょうか?私は嫌です。この考え方は旧世代的なのかもしれません。でもどうせ許されるならポケモンに関してはmiHoYoMonsterを見てみたい気もします。

変わる世界と変わらないといけないわたし

「普通」は知らないうちに変わっていく

 今回「グラフィックデザイン」に限ったのは、法的な問題を除けば「ゲームシステムが流用されるのは許せる」からでした。現実にゲーム業界では当たり前になっており「システムの流用はやっても良いこと」と私が認識していたわけです。しかし、グラフィックに関しては今回のように息の長い有名なコンテンツの見た目をここまで模倣し容認された例を見たことがありませんでした。また、CGや3Dモデルのトレスや盗用が度々吊るしあげられています。これらを理由に、私はグラフィックの過度な模倣は一般にも認められていない行為だと思っていました

 パルワールドを通じて、世間のグラフィックに対する考え方は私がシステムに感じていたものと同じということを知ることができました。よく考えると「どうしてシステムは良くてグラフィックはダメなのか」と言われると感情論抜きにはうまく説明できません。著作権の保護対象に意匠(グラフィックデザイン)は含まれますがアイデア(ゲームシステム)は含まれていないことが一番大きいポイントですが、詰まるところそう考えるのが「普通」だと思っていたのです。所詮「普通」は多勢によって決められるわけですから、私の中の「普通」を更新しないといけないと感じる出来事になりました。

 しつけや教育における体罰が容認されなくなったり、男は仕事で女は家事といった感覚が薄れたり、性別に対する認識が寛容になったり、在宅勤務が一般的になったりと「過去の普通」が更新されることをいろいろ体験してきました。この感覚は年を取るほどインパクトが大きくて、そのたびに「時代変わったな」と中二病のような気持ちを感じられて面白いです。

変えるわたしと変えないわたし

 私もいい年になって、自分が時代の中心ではなくなったという自覚をもって世の中とのズレを受け止められるようになってきました。今はこのように世論とのズレを感じていますが、それが当たり前になれば私もいずれ慣れて迎合できるんだろうと思います。
 AIによる効率化は人口減少を考えれば必要で不可避です。パルワールドのような手法はこれが進むにつれ正当化され、人間が評価される分野は今とは全く違うものになるのでしょう。今回の一件によって改めて世間の変化に気付けていなかった事を認識しました。時代の流れをきちんと汲み取っておいて行かれないように、努力しないといけないと改めて思いました。

 「普通」を更新するとは言いましたが、それは「自分の中でも正しい」と改めるわけではありません。「認めたくないけど、それが普通だよね」と納得できるようになるということです。そういう意味では変わる気はありません。とはいえ、時間と共にそんな意固地なわたしも居なくなって「自分の中でも正しい」になっていくのかもしれません。この文章はそんな今のわたしではないわたしに向けたタイムカプセルです。

 私はできた人間ではないので、何か腑に落ちないことに出くわした時に周りの人も自分の意に沿う方向に進んでほしいと思いがちです。でも確実に変えられるのは自分だけなので、結局自分がやれることに集中しないといけませんね。

おわりに

 ところでゲームを「面白い」と評価することや、倫理的に「良い・悪い」を判断することは人間にしかできないことであってほしいですがどうなるんでしょうね。考えたら怖くなってきたのでやめようと思います。最後まで読んでくれてありがとうございました。

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