ピタゴラ家族

我が家は本当に波乱万丈だった。とはいっても、結婚してできた「新しい家族」ではない。実家の方。
もともと母親がかなりエキセントリックなタイプで、父親は完全に言いなり。母親が謎の不機嫌で喧嘩になったとしても、父はレカンの洋梨タルトかTAKANOのフルーツを買って帰ってくるような関係だった。
ちなみに母と姉はわがまま女王様気質がそっくりで、姉が思春期にさしかかるとぶつかり稽古かというくらいぶつかりまくっていた。
父は空気、母と姉は女王覇権争い、私はクッション材。でも、外から見ればまあ普通の家族には見えていたと思う。

ピタゴラスイッチのように家族が壊れていった分岐点は2つあった。
1つめは、姉が大学時代にうつ病に罹患したこと。
姉はとにかく上昇志向が強く、それ相応の努力をするタイプだった。さらに美貌も持ち合わせており、完璧主義者に近いと思う。
だからこそ、将来なりたい自分を思い描きすぎて、本来学びたくない学部に入ってしまったことが大きな失敗だったんだと思う。
しかも、姉はかなりの美人。女子高から大学に入り、一気に「見られる」ことが増えて、努力家の姉は「他者のイメージ通りの姿」を演じるようになってしまったんだと思う。
したくない勉強、難しい課題、周りからの目……。しかも、姉が仲良くなったのは小学校からエスカレーターで上がってきたお金持ち内部生軍団だった。
皆は高級住宅街に住み、お誕生日は西麻布の一軒家レストランを貸し切るような家庭に育っている。一方、我が家は「日本の平均」からしたら裕福なほうに入るが、東京都下のベッドタウンに住んでいたので23区民ではない。
使用している電車も、オシャレとは程遠い街を結ぶ路線だった。
そんなこんなで、姉が壊れた。恥ずかしいからこんなところに住みたくない。東横線沿線に住みたいと泣き出した姿を見た時、なに言ってんの?バカなの?と思っていたが本気だったらしい。
もちろん、そんなことは叶えられるはずもなく、姉の「なりたい像(他者からのイメージ像)」と自分が乖離していく。
そこで、鬱発症。
家族総出で姉のケアに務めた。
頭が洗えない姉のために、ダイニングテーブルをシンクにくっつけて寝たまま頭を洗ったり、当時高校生だった私が留年しないようにレポートを書いたりもした。

姉が寛解したのが大学3年生の頃だったと思う。
ほっとしたのもつかの間、次の分岐点がやってきた。

母は、末期がんだった。
私はそのとき、大学1年生。入ったばっかりで、楽しい盛りだった。母親が胃の手術を受けるということまでは知っていたが、まさか余命宣告が出ているとはつゆ知らず、彼氏を作ったりサークルの合宿に行ったり。
母から通院のために運転免許を取ってほしいと頼まれたのを無下に断った日のことを今でも忘れない。母がショックを受けた顔をしていた。
でも、末期がんだということすら知らない私は、姉の鬱にかかりきりで、かつ自分の受験もあって、やっと手にした自由だったからそれを手放したくはなかった。

結局、運転免許を取る取らないで揉めている間に母はどんどん悪化し、娘たちも余命を聞かされることとなった。
母は数ヶ月家で過ごしたのち、ホスピスに入ることになった。
その頃、母はもうやせ細っていた。わがままを言うこともない。女王だった頃の面影はもうどこにもない。

その頃から、今度は父が精神を病んでしまった。おそらくだが、比較的落ち込みやすい気質は遺伝もあったのかもしれない。

母→末期がん 父→うつ病 姉→治りたて 妹→やや摂食障害気味
家族はみな、問題を抱えていた。



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