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眼は霞み 耳は遠くも 我行かん

散歩道に咲くヒューガミズキ

 朝起きて夜寝るまで眼と耳は休まる暇がない。殊にスマートフォンが日々の生活に入り込んでからは、目と耳は酷使されていると言ってもよいだろう。2ヶ月ほど前に左眼の網膜剥離を患ったのも、眼の酷使が原因の1つと考えられる。手術を受けて7週間経つが、未だに左眼と右眼で物の見え方が大きく異なり、日々不自由を感じている。

 そんな状態だから、両眼を開けて物や景色を見ていると頭がクラクラしてくる。自ずと左眼を閉じて右眼だけで見るようになるが、そうすると左側の視野が狭くなたり、日課の散歩にも差し障が出る。更に、右眼だけで小さな字を読むと右眼が疲れるので読書も控えざるを得ない。テレビも同様で、1日をどう過ごして良いのか途方にくれた。

 眼がダメなら耳があるさと、音楽やラジオ放送を聴いて過ごそうと考えた。昼間はスマホをBluetoothでスピーカーに、家人が寝静まった夜はワイヤレスイヤホンに繋いで聴く。これで何とか時間を持て余すことはないと思ったが、音楽とライジオ放送だけでは飽きてしまう。そうしている内に、朗読アプリで本を読むことを思いつき、12万冊の本が月額1,500円で聴き放題のアプリAudibleをダウンロードした。

 読む、いや聴く本としては、琵琶法師の語りがベースの平家物語がピッタリだと考えダウンロードした。しかし、聴いてガックリ、鎌倉時代の言葉による語りを聴いてもチンプンカンプンである。古い時代の言葉でも字を眼で追えば、何とかなるのかもしれないが、音だけではどうにもならない。ここでもまた眼の大切さを思い知った。

 1、2週間の内には左眼も回復するであろうが、今後歳とともに眼の力が衰えて行くことは避け得ないであろう。今回は眼の不自由を耳で何とか補うことができたが、耳も遠くなったらどうすれば良いのだろう。せめてこれからは眼と耳を労り、そのような事態に陥る時期を遅らせなければと思うが、何事もスマホ頼りの昨今ではそれもまた難しいか。

                               (2023.04.06)

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