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教えない教育

子どもの教育に興味を持って、ずっといろいろなことを考えてきました。ここ数年、教育に関する大きな変化を感じます。その中でも特に最近感じていることを書きます。

それは、これからの教育はメソッドから衝撃的な体験へ変わるのではないかということです。もちろん、今までも「体験」を教育の主軸にするものはありました。これからは、これまでメソッドが主流だった分野も体験に変わっていくのではないかと思っています。

たとえば、ピアノ教育でいうと、昔は「とにかくひたすら弾かせる」という訓練型が主流でした。スポーツ界にも少し通じるとことがあって、昔は「がむしゃらに大量に練習する」ということが良いとされていました。ピアノを弾くときの体の使い方も、やって、やって、やって身に付けると言う感じでした。

でも、10年前くらいからかな?自分の筋肉を「意識する」というやり方に変わってきました。「意識する」って、目には見えないけども、ちゃんと科学的にもその作用が証明されています。

ビシビシと厳しい暴言を浴びせて、ときには暴力をふるって、有無を言わせずついてこさせる、というやり方も今では御法度ですね。ピアノの先生も昔はすごく怖くて、手をピシャリと叩かれることや、「部活動に入っちゃダメ」なんて制限されることもありました。

今は、教育界全体が「褒めて伸ばす」方向へ行っていますね。その方が実際にタイムが上がるとか、成果にも繋がっているので、考え直されるようになりました。

わたしは音楽や英語に関して、「どんなやり方をすれば、多くの子どもたちに力をつけてあげられるのか」という研究を続けてきました。つまり、メソッドです。「これはいい!」というものに出会うとどんどん取り入れました。

ピアノの先生も英語の先生も、子どもをちゃんと見ながら教えていたら、どなたも気づいていると思いますが、「このメソッドではこれが足りない」「こちらはこれが足りない」、メソッドを研究したらしただけ、足りない部分も見えてきます。足りないといっても、一生、その部分が必要ない子もいます。

「素晴らしい!」と思っても、すべての子どもに成果を出すメソッドっていうのはないんです。

けれど、ほとんどの教室業の広告は「いかに優れたメソッドか」ということをアピールしたものです。試しに、今日からテレビCMで教育関係のものを見てみてください。すべてのCMが「うちはこのようなやり方だから力がつく」という展開になっていると思います。そして、そこには音楽だったらスラスラ弾けている子、英語だったらペラペラの子が出演します。でも、その子たちは「そのメソッドで育つ全ての子」ではなく、「中でも特別素晴らしい子」です。

「中でも特別すばらしい子」に目を向けてみたいと思います。

世の中には、あらゆる面で非常に優れた人がいます。

わたしは音楽教室を開いています。英語も教えています。一方で、企業のメルマガを書いたり、ラジオのお仕事をしたりして、別世界の方に会うこともあります。

つまり、教室の到達点とも言うべき、ミュージシャンとか英語がペラペラの方とか。

その方たちにインタビューすると、ひとりとして、「小さな頃から通った音楽教室でコツコツと宿題をやって、技術を身につけ、ミュージシャンになりました」という方はいないのです。英語も同じです。

じゃあ、何が共通しているかというと、「幼い頃、親が聴いていたビートルズに衝撃を受けた」とか「ラジオから流れてきたシンセの音に度肝を抜かれた」とか。

そこから、ピアノの先生が聴いたら泣いて喜びそうな努力を勝手に重ね、夢中で習得していった、というのです。誰に聞いてもそう言うのです。

日本の音楽教室は、今でも基本は「クラシックピアノ」を主軸にしています。だから、小さい頃から毎週毎週、何かを積み上げていく方式でだんだん弾けるようになっていきます。

でも、わたしはいつも疑問に思っています。うちの教室から音大を受験してクラシックピアノの演奏家になる子は、おそらくひとりもいないと思います。それを目指していないし、目指している親子も来ないからです。わたしの教室は、「ありのままの子どもの力を伸ばす」と言っているから、それがクラシックピアノである子が来ない限り、そっちへ無理に引っ張ることはないからです。

だとしたら、やらなくてもいいことが山のようにあるんじゃないか・・・、いつも疑問です。

かと思うと、「あの曲が弾きたい!」といって、夢中で弾いてきて、鍵盤を見るとその曲を弾きまくっている子もいます。

みなさんは今、新しいことを習得しようと思ったら何をしますか?

そのための学校を探しますか?

わたしはまず、ネットで検索します。「こんな方法でやるといい」という情報が山のように転がっています。読んでも分からないことはYouTubeで検索します。だいたい、あります。あとはやってみるだけです。

あるとき、次男が「学校の音楽の時間にグループごとに何か発表することになったから、スーパーマリオの曲をやる」と言いました。すぐそばに無料の先生がいますが、わたしに何か聞いてくることは一度もなく、高校生たちは全部、ネットで調べてやってしまいました。

こういう世の中にいる子どもたちが、毎週1時間、10年かけて習得する、というようなやり方を今でも続けていていいのか、疑問が湧きます。

ピアノの先生は、宿題をやってくるように、少しでも楽しくするように、たくさんの工夫をしています。手を変え品を変え。お母さんたちも「全然練習しないんです・・・」と言って、時にはバトルを繰り広げ、泣きながらやってくる子もいます。(もういいのに・・・、やらせなくても)

一方で、全然、習ってもいない子が、「クワイヤで歌ってる曲を弾きたい!」と言って、指使いはめちゃくちゃだけど、音を拾って、夢中で弾いています。「一箇所だけ、音が違うよ」と教えると、そこを何度も何度も何度も!!!練習します。←これをやらせるために、先生たちは苦労しているんですけどね。

英語も同じだと思います。

大人になってから苦労した人は、「楽にペラペラになる」ということを求めるから、「楽しくいつの間にかしゃべれる」ということを謳い文句にしている教室がいっぱいあります。

でも、実際にそれでしゃべれるようになった、という大人が周りにいますか?もう30年くらいはその考えが主流なんだから、そこらじゅうにゴロゴロといてもおかしくないですよね。それなのに、いまだに「日本人は英語が苦手」って言われ続けています。

一方で、今までの日本人では考えられないような活躍をしている若者も増えています。

世界で活躍している子たちは、今までのような積み上げ式のメソッドではなく、何か爆発的な体験をし、「ああなりたい!」と強く思い、どんなメソッドであれ、魔法の方法ではなく、本人のモチベーションと努力で成果を得ていると思います。昭和の根性論ではなく、ネットを使い、効率よく習得しています。

これからは「教えない」教育法が主流になっていくのではないか、とずっと考えていました。

4月から美大に進学する次男が、わたしの音楽教室の待合室で、「しんちゃんの絵画教室」を開いています。1月頃からかな。高校生の考えることですから、甘いところもいっぱいあるんだけど、社会経験だと思って、勝手にやらせています。

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参加費は投げ銭制です。

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投げ銭制とはいえ、お金はいただくわけですから、ただ描かせるだけじゃなくて、教えなくちゃいけないんじゃないの?そうしないと、子どもたちは楽しかったとしても、参加してお金を払ってくれる保護者様は納得しないんじゃないの?って、長らくメソッド式で教室を開いてきたわたしなんかは思ってしまうわけです。

大丈夫かぁ??と冷や冷やしていました。

すると、あるとき、年少さんの男の子がこんな線画を描いていました。しんちゃんのお絵描き教室も3回目を迎えた頃だったでしょうか。

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ちらっと覗いた時にこういうものを描いていて、「なんか不思議な形を取ってるなぁ」と思いながら、「じょうずね」なんて声をかけていました。

そうしたら、お母さんが、「先生、見てください。この子が何かの絵を描いているのを一度も見たことがなかったんだけど、初めて描いた絵です」と言って、持ってきてくれたのがコレ!!!

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びっくりしました!前足、胴体、口、見事に恐竜!!

前の絵と見比べてみてください。これを描くために、形を取っていたのですね。何枚かに渡って絵を仕上げていくなんて、まさに習作ですよね。

次男がこれを描くために手取り足取り教えてわけじゃなくて、まさに、「体験」がこの子の「描きたい!」というモチベーションを呼び起こし、夢中で仕上げたのでしょうね。

これこそわたしが目指す「教えない教育」です。

別な例をご紹介します。

コロナウィルスが騒がれ始めて、わたしの教室もしばらくおやすみにしました。その間に、親子で歌ってくれたらと思って、こんな動画をアップしました。(全部で5回なので、良かったらチャンネル登録お願いします)

そうしたら、それを見た、小1と小2の子が、歌詞を一生懸命、紙に書き取って覚えようとしてくれたそうなのです。

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メソッド中心の大人は「英語は英語で!」とか「カタカナで書いちゃダメ!」って言うかもしれないけど、どんなやり方だって、子どもたちが夢中で取り組んで、大きな声で歌う、という体験には誰も文句は言えないと思います。これを書き取るまでに、何度も何度も聞いて覚えようとしたのでしょう。

ここで大事なことは、「英語を学んでいる」じゃなくて、この子たちは、この歌を歌いたいと思って、何度も真剣に聴いたと思うんですね。宿題でもなんでもないのに。

そういうことが、「教えない教育」なんじゃないかと思うのです。

これから、わたしの考えももっとブラッシュアップされて、どんどん変わっていくかもしれませんが、今後は「教えない教育」について、研究していこうと思います。

それが、メソッドより何より効き目があるからです。

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