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女子寮時代の思い出・・・メンバーが入れ替わり・・・組織は本当に変わってゆくのだ!

 女子寮での生活の思い出である。

 ちょっと狂気に似たレベルで熱心に寮行事に臨んでいたせいか、授業外の活動があまりにも大変で、生活を圧迫するレベルではあった。自分は、まともに勉強をしなかったのだが、そもそも、真面目に授業に臨もうとすると、相当な量の英語の資料などを読むことが課題として与えられていた。普通に授業に出て課題をこなすだけでも大変なのに、その上で、よくわからない無数の伝統行事に参画するとなると、運営が大変なのだった。そもそも、「家賃が安いから」という理由で入寮した人がほとんどであって、「寮行事をやりたい」と思って入ったわけではなかったので、「なぜ、こんなことをやらねばならぬのか?」と言う煩悶は常にあった。

 「伝統」となっていた行事の量が、明らかに多すぎて、寮生の生活を圧迫していたのだった。

 90年代後半の当時、学内で行われていた演劇やミュージカルの公演が複数あり、キャンパス内に住んでいる寮生の参加率も高かった。寮生たちはキャンパス内に住んでいたので、長時間に及ぶ練習などがあっても、歩いて5分ほどで、すぐに寮に帰れる。元々、知り合い同士の寮生たちが、一緒にやらない?と寮生たちに声をかけるので、多くの友人が、スタッフや役者として演劇やミュージカルの公演に関わっていた。

 寮の運営があまりにも大変だったこともあり、2年生の頃に寮を辞める人が続出し、それまで、あまり寮の伝統行事にコミットしていなかった同級生が、運営に関わることになった。アメリカの往年の名ドラマ、古典のような、「ビバリーヒルズ高校白書」のような物語で例えると、シーズン3あたりから、人間関係が劇的に変わっていく瞬間があるのだが、自分にとっても、大学2年生までの思い出と、大学3年生以降は、登場人物が一気に入れ替わり、シーズン2からシーズン3になるような、大幅に環境が変わるような、同じ寮に住んでいたのに全く異なる時代に入ったような感覚があった。それまでは、あまり積極的に寮の活動に参加していなかった友人たちが、メンバーの変化によって積極的に関わるようになって、その後に入ってきた後輩たちとの関係性も新しく生まれて、立場が変わり、雰囲気が変わっていったのであった。

 今、残念な組織で辛酸をなめながら、それでも耐え抜いているのは、メンバーが変わると雰囲気が変わる、時にはとても辛い状態に陥っても、何かのきっかけで良い環境になりうる、ということを、身をもって経験したことが大きいと思っている。

 映画を見ることに熱中したことも、やりたいとも思っていなかったのに細川たかしの「北酒場」をBGMにD館のステージを走り抜いたことも…先輩方の悲願であった男子寮に勝利をする、と言うことを実現した時の打ち上げの盛り上がり…はたから見たら、馬鹿げたことをやることによる心労や、くだらないセリフを言うために熱心に毎日練習をすることの大変さがどれほどのものか、何度も何度も同じ場面を演じているうちに何が面白いのかさっぱりわからなくなっていく…はたから見たらそんなに苦労してやっているようには見えないものであっても、作る方はとてつもない緊張の中でそれをやっている。特に、日本では、「人を笑わせる」という行為は、特に女性がそういった活動をすることは、あまり尊敬される種類のものではなかった。「よくあんなことやってるよね」と苦笑いされてしまう。今はたくさんの女性の芸人さんが活躍しているけれど、90年代後半にそういった文化はなかったので、その苦労というか、関わっていた友人たちの心労は、想像もできないものだった。

 非常にホモソーシャルな世界ではあるが、お笑い芸人の人たちをリスペクトしているのは、一見、何も苦労などなく、おしゃべりだけで楽しそうに芸人として生活している人たちがどれほど毎回緊張し、「誰も笑わない」ことに常に怯えて活動をしているかを、想像できるからなのであった。

 しかしながら、思わぬセリフで会場が大爆笑した時の、圧倒的な驚きと喜びは、今も忘れられない。
 
 あの時代の寮生活の経験がなければ、今の自分はなかったのだ、と確信しているのだった。

 以上です!

 

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