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もがいても・・・得られないものを最初から持っている人がいるのがリアル

 2024年が始まった。一年の始まりから、胸をえぐられるようなニュースが続いた。2011年の大震災の時に、24時間体制でニュースを見続けてしまい、人間関係に悪影響を及ぼし、辛い思いをした反省から、震災や事故や事件のニュースは「テレビをすぐに消して、一切見ない」ことにしている。テレビやインターネットの報道の影響を受け過ぎたことで、いろんなトラブルを招いてしまったので、この判断は、重要であると思っている。

 2024年1月10日時点で、拙noteのアクセス数が4万2000を超えた。増えたからといって、だからなんなのかと言われれば、自己満足にしか過ぎないのだが、このnoteを始めた当初、各記事のアクセス数が「7」〜「12」の間を推移して数年が過ぎていたことを思うと隔世の感がある(当時、全てのアクセスが、自分だった可能性あり)。

 さて、拙noteにも度々書いており、主題のような内容でもあるのだが、ずっと書きたいと思っていたが、なかなか書く機会がなかったことについて、書きたい。

 私がICUという、英語力があることに自信を持っている(ちょっとめんどくさくて社会性に乏しい)学生たちが、全国からこぞって集う大学に入った18歳の時に痛感したことは、この世の中には「努力」では埋められない、どうしようもない「格差」というものがある、ということであった。

 それは、大学1年生のときに「英語力」というかたちをとってありありと目の前に現れた。

 This is a pen.から始まる受験英語を、どんなに必死にやったところで、年単位で英語圏にいた人たちには、発音、文法、語彙力、そのほかあらゆる意味で絶対にかなわないということに、打ちひしがれた。

 「指定校推薦」の人たちの存在にもショックを受けた。自分の通っていた高校はそれほど著名な高校ではなく、20年以上前の当時、指定校推薦の枠は少なかった。当時は、ペーパーテストでの受験が主流だった。自分は高校入試の成績が良かったので、奨学金をもらっていた。その奨学金をもらう代わりに、さして著名ではない(失礼)高校の進学実績を高く上げる役割を担わされていたから、最初から推薦の枠をもらうことは、なかった。

 そもそもICUの推薦枠などなかった。

 人生の最も多感な時期を、意味のない暗記に朝から晩まで明け暮れた。高校3年間で出かけたのは「サイゼリヤ」一回だけだった。友人との会食は、たった一回。だから今も覚えている。鮮明に覚えている。

 放課後に、部活動をやることは、クラスメートは、全員禁止されていた。

 3年間のうちの、高校2年の時の、文化祭のごくわずかな期間しか、自由な活動は許されていなかった。高校3年間のほとんどは、朝9時から夕方まで勉強し、帰宅して、次の日の予習に備える。つまらない勉強。苦手な数学。数学は全然わからないから、ただただ暗記をした。

 今でも数学はよくわからない。典型的な文系の学生。高校の方針で国立大を受けることが必須で、文系科目だけにしぼることはゆるされなかった。センター試験を絶対に受けなければいけなかったから、どんなに苦手でも数学をやらなければいけないのだった。

 奨学金をもらっていることを盾にされ、受験勉強に明け暮れる日々の中、同じように奨学金をもらって、一緒に大学進学を目指していたクラスメートが、くも膜下出血で亡くなった。16歳だった。

 彼女とは、文化祭で一緒に映画を作った。

 クラスメートと先生総出の映画だった。とりあえず知っている人が画面に映ればそれだけで笑える、それだけを頼りに作った。公園と湖でロケをした。

 彼女と一緒にエンドロールを作った。白い紙に出演者の文字をワープロで印字して、それを2人でゆっくり動かして、上から撮影した。エンドロールに仕立て上げた。BGMは笑点のエンディングテーマ。ビリージョエルも影響を受けた曲。

 当時の自分としては、とても小粋な演出だと思った。ビデオカメラの隣にテープレコーダーを置いて、カセットテープで笑点のエンディングテーマを流して、それを録音したのだった。笑点のエンディングテーマも、テレビの前にカセットデッキを置いて録音したような気がする。記憶はないけれど、youtubeがなかった当時、それしか方法はなかったかもしれない。

  ICUに入って色々な人と出会う中で、私が北関東から東京に出てくるまでの努力は、なんだったのだろうか、と思った。連日連夜の、受験勉強。意味のない受験勉強。思考力を育めない、国際競争力を落として日本をダメにした受験勉強。

 帰省のたびに親に文句を言われながら払ってもらう、高額な学費と仕送り。高額な学費を払っている授業をほとんど寝倒す自分。眠りの値段が高い。若くて純粋で真面目な女性に囲まれて、のびのびと正規の教授が「持論」をしゃべる授業。「持論」の値段もとても高い。

 ICUで知った、知らなかった受験の仕組み。受験勉強を一切せずに同じ大学に合格している人たちがいるのだった。

 私は打ちひしがれた。

 推薦枠。そんなもの、どこにあったんだよ。地中深くに埋まっていたのか。石油かよ。エネルギーなどない日本。

 親が広告代理店勤務、商社勤務(等)の子女たち。面接とSATだけで入ってきたという9月生たち。暗記など、一切しないで入ってきていた。同じキャンパスでのびのびと。自由な活動を謳歌してきた同級生たちを、私は羨望と憎しみの思いをこめて見つめた。

 田んぼを自転車で走って必死にやった受験勉強。そこで磨いた英語力。青春の全てを捧げた受験勉強を、一切しないで、もっと高い英語力で、同じ大学に入ってきている人の存在。

 持って生まれている。努力などしていないのに。英語ができるようになりたい、そんな高校時代の思いは粉々になった。

 最初から「持っている」人たちがいるのだから。欲しいとも思ってすらいなさそうなのに。

 東京に出てくる必要のない人も、たくさんいるのだった。家が東京にあるのだから。

 北関東で生まれただけで、勉強ができる女子は、男子に背中を蹴飛ばされるのに。都内の私大の推薦枠をもらった隣のクラスの女の子は、上履きを引き裂かれたのに。クラスメートは、死んだのに。

 圧倒的な格差の前に、私は一切のやる気を失ってしまった。勉強をしても意味がない。スタートラインが、違うのだから。

 She doesn't study.

  寮内で一切勉強をしていなかった私を揶揄して、留学生のルームメイトにそう言われた。

 ICUでは、勉強が得意な女子がとてものびのびとしていた。東京(近郊)の著名な中高出身の女の子たち。勉強も、運動も、英語も、音楽もできる。さらに可愛くてセンスがいい。それを鼻にもかけない。ガリ勉はダサい。料理も得意。彼女たちは、全てを持っていた。

 できるのが当たり前だから。

 育ちが違うから。親の仕事が違うから。スタートラインが、違うから。

 「勉強ができること」を18歳までのアイデンティティにしていたのに、「勉強をしない人」に成り果てた自分が、とても悲しかったから。何も言えなかった。

  もう勉強はしたくないよ。もう十分にやったんだよ。高校3年間の全てを捧げた勉強が「全て無意味だった」と気づいたから、勉強なんて、まったく、したくなくなったんだよ。

 その思いは、留学生のルームメイトに英語では言えなかった。受験勉強しかしてこなかった私には、英語力が足りなかったから。

 私は日本人らしくちょっと困った笑い顔をして、怒りを表明することもなく、自分の思いを伝えることもなく、彼女には何も言わなかった。

 思っていることを率直に表現する女性は、嫌われるから。

 日本では。


 以上です。


 






 

 

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