夕張国際ファンタの思い出・・・分からない・・・どれが「サイトウ・タクミ」なのかな?(2)
夕張国際ファンタスティック映画祭に参加して、私以外の全員が「サイトウ・タクミ」の追っかけであったことの思い出である。
追っかけ、というものの集団に遭遇したのはその時が初めてであったが、年齢、出身地、なども非常にバラエティに富んでいた。お子さんが2人いる妙齢の方もいれば、独身の若い方もいたし、娘さんと二人で「サイトウ・タクミおっかけ2世代(!)」という人もいた。
私がとても驚いたこととして、夕張国際ファンタスティック映画祭を見に来ているにも関わらず、彼女たちは一切映画に興味がなさそうであるということだった。彼女たちの会話は9割が「サイトウ・タクミ」であった。「サイトウ・タクミ」が来ると思われる会場のことを綿密に調べ、彼の座る座席からなるべく近いところで時を過ごそうとしていた。どうやって彼が行く場所を探すのか分からないが、追っかけの人々同士の(twitterなどを利用しているようであったが詳細は分からない)情報提供のネットワークがものすごいのである。彼女たちは、サイトウ・タクミがどこにくるかということを、事前に真剣に調べ、早朝から夜遅くまでそこへ行こうという、強い熱意を見せ、入念な準備をしていた。
私は朝、起きられない体質である。仕事がなければ起きられない。基本的に休日は昼から活動せざるを得ない。私以外全員サイトウ・タクミの追っかけである相部屋である夕張の宿において、昼まで寝ているのは私一人であった。
昼まで寝ている意欲の強い私のことを、「サイトウ・タクミ」の追っかけである人々は訝(いぶか)しんだ。
眠くて起きられないとはいえ、半分くらい覚醒しており、周囲の会話が聞こえてきた2日目の朝。
「サイトウ・タクミ」の追っかけ同士の、こんなやりとりが聞こえた。
「ねすぎさん、寝てますけど…起こします?」
「そんな必要はないわよ!」
「なんでですか…?」
「あの人はね…」
「あの人は、映画ファンよ!」
そんなやりとりが、聞こえてきた。
映画祭を見にきたのに、映画ファンであることを、ヒソヒソとネガティブなトーンで語られたのは私の(冴えない)人生において後にも先にもその時が最初で最後であったと思う。
続きます…。
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