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「ぶさいく村」出身という十字架は・・・大人になってもずっと消えない!?自意識の影響はずっと続くかも・・・?

 思春期の頃、顔立ちに関して、女性に対しては、男性からも、場合によっては男女双方から、厳しいジャッジがあるのに、男性はそうでもない、ということにずっと不満を持っていた。

 その顕著な例として、(音楽関係者は絶対に彼らに対してこんなことは書けないのかもしれないが)竹内まりやと山下達郎のカップル、の存在のことは、ずっと気になっていた。人1倍、いや人50倍、気にしていた。

 そんな前の記事まで読んでいる人がどれほどいるのかわからないが、私は幼少期、山下達郎に酷似した外見をしており、山下達郎がテレビ画面に映ると、恐ろしくて正視できないくらいには自分が山下達郎に似ていると思っていた子供であった。クリスマス・イヴの毎年決まった時期のヒットもなくなり、最近はほとんど映らなくなったが。

 ある日、音楽番組を見ていて、山下達郎の奥様が、シンガー・竹内まりやだということには本当にショックを受けた。二人とも、音楽の才能がすごい夫婦でお似合いだということはよくわかる。しかしこれが、外見の特徴が男女が逆のカップルは、おそらくありえない。山下達子と竹内マリオ。名前を変えてみただけであって本質は捉えていない。

 この違和感についてはあまり誰にも話せなかった。なんというか、男性は才能があれば良いが、女性は才能があってさらに美人でなければならない、ということは、世の中的には、あまりにも当たり前のことすぎて、批判をすることが不可能だったということもあるし、女性が、外見で評価されることが辛いということを話すことには、何やら話題にすることも憚られるような、どうにもできない切なさがある。

 自意識の中でもがく、蟻地獄のような辛さがあったのだった。

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