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頼んでもないものをなぜだか送る母…いらないものを…どうして…くれる?

 自分も母の影響から、頼まれてもないものを人にあげてしまう癖がないとは言えず、書いていてなんだかしんどくなったのだが、思い出の詰まった寮生時代、そして一人暮らしの木造モルタルアパート時代、直筆の長い手紙や、頼んでもない宅配物が母から送られてくることに、困った。

 母は郷里の果物への思い入れが尋常ではなく、箱いっぱいの果物を寮に送ってきた。

 当時、私は頭に段ボールで作った巨大な花をつけて通学したところ、頭がつっかえて教室に入れず、外して入室したところ笑いをとることができてほのかに嬉しかったり、花を頭につけたまま郷ひろみの「お嫁サンバ」で夜な夜な踊ったりする練習がとても忙しかった。そのため、何かが送られてきたものに気づかず、柑橘類の一部が腐ってしまったのだった。そのことを当時寮にあった、たった一台の電話で伝えたところ、母が激怒して、ガチャリと電話を切られたことがあった。

母のヤバさに気づいたのはその頃からだった。

小学校3年生の頃にはすでに、クラスメートは私の母がヤバいと気づいていたのに、自分が母のヤバさに気づくまでには本当に長い長い時間がかかったのだった。

母の重圧は、洗脳に近い。

母の関心を得なければ、生きていけないからだ。そう思わされているからだ。

 驚いたことに、頼んでもないものを一方的に送られる…という事象自体が、これも「困った母親あるある」なのだった。

 日本中の娘(息子もかも)が、頼んでもないのに母(あるいは義母)から送られてくる何か、サムシングに、恐れをなしている。私がとても困ったのは、病みながら働いていた一人暮らしの頃、働いていると日中はアパートにいないのに、何も言わずに送る手配を母が勝手に決めてしまい、不在票が届くことだった。

どうして、日中、私がアパートにいないことを、想像すらしないのだろう?仕事のストレスで疲弊している身には、頼んでもいない母からの宅配便は本当に迷惑でしかなかった。母から、頼んでいないものを送られることは、何か全身の神経を逆撫でされるような、心の核となる部分をぎゅうと握られるような、そんな嫌さがあるのだった。

それを男性の知人(※家族内でエースと言われていたらしい地方都市の長男)に愚痴ると、半笑いで、諭すようにこんなことを言われた。

「そんなに怒ることないじゃん。

 お母さんだって、悪気はないんだから」

私は怒りで全身の血が逆流するような感覚を覚えた。

悪気がないから、困るのに。

母は、母の脳内だけで、娘のために、とても良いことをしてると思っているから、止める術がないのだった。

とにかく、母からの長い直筆の手紙や、頼んでいない柑橘類が送られてくることは、身の毛もよだつほど嫌だったのだった。




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