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楽しそに生きる人のことゆるせない…こっちはぜんぜん楽しくないのに…?(自分もそういうところがあったよ)

 職場でよく感じる残念な現象、に、「何もしてくれないのに、否定だけしてくる立場が上のひと」の存在がある。

 働き始めて間もなくは、誰かがコツコツとつみあげたものを一瞬にしてつぶすような決定が、日常的に起こる、ということが、まったく理解できなかった。大学では、論理的に考えろとか、英語で何かを主張するときには、まず言いたいことを最初に述べて、そのことをサポートするエビデンスを入れて、最後にその主張を再度述べる、というようなことを教わったのだが、そんなものは、本当に、何の役にも立たなかった。急に、偉い人が出てきて、これまでの準備をむげにするような発言をしてきたり、意地悪な上司が直属の上司だったとき(ほとんどそうだったのだが)には、大した仕事ではないのに(失礼)何度も何度も何度も必要のない修正をさせてきたりする。論理も、主張も、何もあったものではないのだった。

 メンツを大事にしている人のメンツをつぶさないようにする、それが何よりも大事らしく、私はそのメンツを無意識によくつぶしてしまっていて、ムカつかれてしまっているようだった。

 無意識にと書いたが、若干意識してつぶしてしまっているところもある。

 問題のある親に育てられたからか、単なる自分の性格のせいか、「メンツ」を保とうとする人を見ると、その「メンツ」をぐしゃぐしゃにしたくなってしまう。私の周りにいる、親の性格に問題がある人は、そのような特徴を、ふんだんに持っている。それは自分が子供の頃に、そういう態度をよく親や兄弟にとられたからだ。自分が大事にしているものを無下に扱われたり、プライドを持っていることを否定するような発言の殺傷力たるやすごいものがある。子供の頃は、特に、とても強い。

 女性としての魅力に自信があって、かつ、親の性格に問題があった人たちは、その女性としての魅力に引き寄せられる男性のメンツをつぶすことにたけている。女性としての魅力に引き寄せられ、ハエトリリボンにくっついていく、ハエのような男性のメンツを、全力でつぶして生きているようなところがあると思う。男性としての魅力があって、家庭に問題があったひとも、しかりである(よく知らんけど)。

 親に問題があると、みんな誰かを傷つける手段に詳しくなってしまうのではないか。恐ろしいことである。

 最も効果的で、何の能力もなくてもできる人への攻撃の方法、それは、最後の最後にやってきたことを全否定すること、頑張っていることをあえてやらせないような決定をすること、なのだった。よくあることだが、コツコツ積み上げたものをつぶされたり、これまで熱心に取り組んでいた人を外して、別の人にやらせるような人事異動などは、やる気を失わせて、傷つける効果が大変に高いと思う。

 そういう経験を無数に積んでいるサラリーマンは、自由に生きているひとのことがゆるせなくなる。日本において文化や芸術に携わる人々への支援が充実していないことの理由には「楽しそうなひとがとにかくゆるせない」という気持ちを多くの人が抱えていることがあるのだと思う。

 毎日が楽しくない人ばかりが会議を開き、一生懸命、楽しくない仕事をして、楽しくない国をつくっている。

 楽しく生きていきたいと思うひとは、みんな日本の外に出ていってしまうのではないか、という危機感を、ひしひしと感じるのだった。

 以上です。

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