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コラムニスト山崎まどかが解説。ヒッチコック映画やフィルム・ノワールから読み解く『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ』の恐怖

A・J・フィンの小説をジョー・ライト監督、エイミー・アダムス主演で映画化した『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ』が、5月14日からNetflixで独占配信スタート。本作は、恐怖症を抱え、家の外に出られない主人公が、隣人の恐ろしい事件を目撃したことから、不可解な出来事に翻弄されていくサスペンス・スリラー。

日本語版原作の解説をされているコラムニストの山崎まどかさんが、クラシック・スリラー映画『裏窓』『白い恐怖』『潜行者』などと比較しながら、昨今の社会情勢において誰でも陥る可能性があるリアルな設定や、本作のテーマである“恐怖心の本質”を論説してくれました。(ネトフリ編集部)

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都会人の孤独がテーマである、ヒッチコック映画『裏窓』をオマージュ

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アルフレッド・ヒッチコックのあまりにも有名な映画『裏窓』(1954)のプロットである。ジェームズ・スチュワートは脚を骨折した報道写真家。彼が暮らすニューヨークのダウンタウン、グリニッチ・ビレッジのアパートメントの部屋から見える向かいの棟では、様々な人間ドラマが展開している。彼はそれから目をそらすことは出来ないが、関与することも出来ない。主人公が殺人事件と信じているものも、目にしたことから生まれた誤解や妄想に過ぎないのかもしれない。ブライアン・デ・パルマの『ボディ・ダブル』(1984)など、オマージュ作が尽きない映画のひとつである。

ジョー・ライト監督の『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ』でエイミー・アダムスが演じる主人公アナも、『裏窓』の写真家によく似ている。彼と同じく、近所の人々の私生活を覗くのが趣味だ。ニコンD5500に望遠ズームレンズを取りつけて窓から家の中の様子を探るだけではなく、ネットで住人たちの素性まで掘り下げる。

舞台も同じくニューヨークだ。ただしこちらはセントラル・パークよりも北の高級住宅街で、庶民的だった『裏窓』の住人たちと比べると、アナの近所に住む人々は富裕層だ。彼女がカウンセラーに漏らす向かいの家の売却価格には愕然とする。この地域に住む資産家の家族たちは、どんな秘密を抱えているのだろうか? アナが近所の人々の動向に執着する様子は、たまたま退屈していた『裏窓』の写真家よりも、やはりニューヨークの高級住宅街を舞台にしたジョン・チーヴァーの短編小説「巨大なラジオ」の主婦に近いかもしれない。

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アナが他人のプライバシーに夢中になるのには、訳がある。彼女は事情があって夫と娘と離れて暮らしている。更に家の外に出るとパニック障害になる重度の広場恐怖症で、ずっと家に引きこもっている。アルコールに依存し、薄暗い部屋でヒッチコックやフィルム・ノワールの映画ばかり観ているアナにとって、すぐそばにある他人の生活は、今の自分には手の届かない幸福の象徴なのだ。

新型コロナ・ウィルスのパンデミックの最中にいる現在の私たちには、非常にリアリティを感じる設定である。エドワード・ホッパーの絵画に描かれるような、お互いに触れ合わない都会人の孤独や正常さを装う人々のグロテスクな私生活は、『裏窓』のテーマでもあった。すぐそばで展開する隣人のストーリーに手が届かない、身近な他者と触れ合い、助けることも出来ず、また誰からも助けてもらえないという設定は、ロックダウンを経験したアメリカの都会の人々にとって、より身につまされる現実となった。

外に出られないアナは、思わぬことから向かいの家に引っ越してきた家族の息子、そしてその母親と交流を持つようになる。しかし、この家族には何やら暗い秘密があるらしい。向かいの窓を覗いていたアナは、やがて衝撃的なシーンを目にする。

誰にでも起こりうる、アイデンティティ・クライシス

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設定だけではなく、映像からも『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ』がヒッチコックの映画をベースにしているのは明らかだ。アナが寝落ちした後、テレビの画面にかかっているのは『裏窓』のクライマックス・シーン。冒頭で彼女が目覚めるシーンの瞳のクローズ・アップは、『サイコ』(1960)を彷彿とさせる。A・J・フィンによる原作では、アナはヒッチコック及び彼の影響下にあるミステリー/サスペンス映画の大ファンという設定で、『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ』の発売当初はヒロインのマニアぶりが話題となった。何せ、クロード・シャブロルの『肉屋』(1970)やジョルジュ・シュルイツァーの『ザ・バニシング-消失-』(1988)まで観ているのだ。

映画のアナには原作のような饒舌なモノローグはないが、彼女の室内でかかっている映画からその趣味がうかがえる。『裏窓』以外で『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ』に登場するのは、同じくヒッチコック監督による『白い恐怖』(1945)とデルマー・デイビス監督、ハンフリー・ボガードとローレン・バコール主演の『潜行者』(1947)である。どちらもアイデンティティ・クライシスと関係のある作品であることが興味深い。『白い恐怖』でグレゴリー・ペック演じる主人公の精神科医は、自分の正体に自信が持てない。果たして本当に彼は自分で名乗っている通りの男なのか? 彼が記憶を辿っていくシーンはシュールレアリズム絵画のアーティスト、ダリが協力し、悪夢的なイメージを作り上げた。『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ』に使われているのは、この有名なシーンである。

『潜行者』でハンフリー・ボガードが演じるのは、刑務所を脱獄してきた男。前半部はほぼ主人公の主観ショットで進行し、まったくボガードの顔は映らない。彼の顔が登場するのは、自分に妻殺しの罪を着せた相手を探すために整形手術で顔を変えてからである。アナのテレビで見られるのは、外見が変わる過程の、まだ夢うつつの状態にある彼の視点から見たバコールの顔だ。

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この二本の映画から取られたシーンと同じく、アナの意識はアルコールとストレスのせいで朦朧としている。エイミー・アダムズは可愛らしく好感度が高い女優だが、追い詰められ、憔悴し、荒んだ女性を演じても上手い。ギリギリのところで奥底に潜む人間性も感じさせる。だが、アナは『裏窓』のジェームズ・スチュワートのように信頼できる目撃者ではない。あの映画では観客は主人公の目を通してアパートメントのドラマを目撃し、現実に起きたことの断片と思われるものを垣間見た。一方、アナがカメラのファンダー越しに目にしたものはあくまで彼女自身の主観なのだ。 “事件”のシーンは実際にアナが目にした現実ではなく、彼女の恐怖と衝撃がクローズ・アップされたものとして演出されている。

これは現実?妄想? 殺人事件よりも恐ろしいのは……

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直接的に引用されている作品以外で、ヒッチコック作品やフィルム・ノワールを思わせるものに、アナが暮らすタウンハウスがある。彼女が外に出られないために外観は分からないが十九世紀風の建築で、今のような生活をする前は、このヒロインが仕事で成功していたことがうかがえる。ワイアット・ラッセル演じるデヴィッドにメゾネットとして地下室を貸しているが、アナの暮らす上階は薄暗く、屋敷は荒廃している。古風な回り階段は否応なくヒッチコックの『めまい』(1958)やフリッツ・ラングの『M』(1931)を連想させる。更には天窓とマンハッタンの夜景が見られる屋上庭園。何かがここで起こる予感に満ちている。

同時にこの屋敷は、アナの内部そのものだ。彼女は心の扉を固く閉ざして、誰もそこに入れようとしない。しかし、事件に関わることで外部の視線が彼女の内的な世界に入り込んでくる。アナの広場恐怖症の原因が明かされるシーンには、『アンナ・カレーニナ』(2012)で演劇的な要素をふんだんに取り入れたジョー・ライトらしい演出がなされている。彼女の記憶の一部は、室内に置いて再現されるのである。あるいは、これは戯曲「8月の家族たち」の作者で、トニー賞に輝く脚本家のトレイシー・レッツのアイディアなのかもしれない。レッツが自作の戯曲以外の映画化作品を手がけるのは初めてのことだ。

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事件は窓の向こうで起こったのか、それともこの屋敷の窓の内側で作られた夢なのか?『ウーマン・イン・ザ・ウィンドウ』というタイトルは元祖フィルム・ノワールであるフリッツ・ラングの『飾り窓の女』(1944)から取られているが、この作品のタイトルの「女」が誰を指すのか、分からなくなってくる。そして『飾り窓の女』のラストを知る人は、このヒロインの言動に疑念を抱くだろう。何せ真相を追いかけても、観客が手にするのは向かいの家の新しい情報ではなく、アナに関する事実ばかりなのだ。これは事件の当事者ではない、目撃者であるはずの女性の心理に切り込んでくる非常に内省的なサスペンスで、そこが面白い。

ヒロインが他人に向けていた疑惑の目が、自分自身に向けられていく。事件の関係者も、警察も、誰も彼女の言うことを信じない。周囲から信頼を得られないことで、アナはますます自分を信じられなくなってくる。殺人事件以上にこの映画で恐ろしいのは、自己不信だ。

あったのか、なかったのか分からない殺人事件を巡るストーリーは、一人の女性が自分の真実に直面するドラマに展開していく。事件の真相とともに、ヒロインの孤独な魂の軌跡からも、目が離せない。


文・山崎まどか(コラムニスト)
Twitter:@romanticaugogo

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