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マイ・ケミカル・ロマンス、約9年ぶりの新曲"The Foundation of Decay"に寄せて。-「それでも生きていて良い」と叫んでくれた、生きづらさを抱える人々にとってのヒーローの帰還

我らの身体を横たえよ この心臓が守られる限り
我らの血に犯されるのだ いっそ無駄死にするくらいならば
今となっては、貴方の持つ想いが既に過ぎ去っていたのだとしても
その灰は朝日を浴びながら川を流れていくことだろう
そして、まるで害虫が這うように
これから腐敗していくだろう基盤の上に我々は横たわっているのだ
("The Foundation of Decay"より)

2013年の解散から約9年という長い年月が経ち、彼らは相変わらず過剰で、退廃的で、どこか自惚れていて、そして何より、どこまでも絶望しながら、轟音と共に声を張り上げている。その姿は、かつて熱狂的なファンだった自分から見た、彼らのヒーローとしての在り方と何一つ変わっていなかった。

My Chemical Romance(マイ・ケミカル・ロマンス)。2001年にアメリカ・ニュージャージーで結成されたこのロック・バンドは、今では多くの人々にとって「2000年代のエモ・パンクブームの象徴」であり、もっと身も蓋もない言い方をすれば「そんなバンドいたよね」という一発屋的な見られ方をしており、代表曲の"Welcome to the Black Parade"は懐メロとして扱われることも多い。だが、一方では彼らの存在によって救われた若い人々が大勢存在しているのも事実である。

スタジアムに立つスターは、時代によってその立ち振る舞いが異なっている。(筆者は世代ではないのであくまで推測だが)1980年代にはクイーンやデビッド・ボウイ、ガンズ・アンド・ローゼズといった力強いオーラを放つアイコンが輝き、90年代にはニルヴァーナのようなそれまでの華々しさに冷笑的な視点を向け、絶望的な感情を歌うダークヒーローが支持を集めた。その誰もが強いカリスマ性を持っており、シンプルに格好良かった。

一方で、2004年にリリースした"I'm Not Okay"で一躍大ブレイクを果たしたマイ・ケミカル・ロマンスはと言うと、はっきり言ってクールではなかった。学校の陰キャ側の学生たちにメンバーが扮してイケてない日々を嘆きながら最終的には陽キャに一矢報いようとするミュージック・ビデオ、本当は恋心を抱いている相手の恋愛相談を受けてボロボロになっている心境を描いた歌詞、目の周りを真っ黒に塗ったイタいゴス・メイク、何より象徴的な「僕は全然大丈夫じゃないんだよ!("I'm Not Okay")」という叫び、どれをとっても過剰なほどにイケていなかった。だが、そのあまりのどうしようもなさに多くの人々が共感したのだ。大合唱必至の超ポップでキャッチーなメロディや、駆け抜けるように軽快なパンク・サウンドも相まって、「陰キャのアンセム」として熱烈な支持を集めたのである。

同楽曲を収録したアルバム「スウィート・リベンジ」は、"I'm Not Okay"にも負けないくらいの過剰なアンセムが多く収録された名盤で、今なおポップ・パンクの名作として語り継がれている。死や絶望、悲しみといった人前では明らかにしたくないネガティブなモチーフを臆すこと無く取り入れ、それを目の前にした時のどうしようもない感情やもがき呻く様をマチズモを微塵も感じさせないほどにありのままに表現した同作は、シングルで火が付いたバンドへの期待を決定的なものにした。

だが、本当のピークはこの先にある。2006年にリリースされた次作「ザ・ブラック・パレード」は、まさに死をテーマとしたコンセプト・アルバムであり、1曲目の"The End"で心拍音の停止を迎えると、前作以上に幅広い音楽性や表現のアプローチでもって、ありとあらゆる手法で死と対峙する。

もうすぐ死ぬってのに誰も気にやしない人生って何だったんだ?と開き直りの笑い声を上げたり、ドラッグとアルコールに溺れて我慢できないほどの痛みに襲われながら最後の一発を求めたり、罪人として地獄に落ちながら「結局宗教による救済なんて無かったじゃないか」とのたうち回ったり、戦争に放り出された人物が死の恐怖に耐えきれずに母親を想って絶叫するなど、様々な限界の状況が描かれる。物語を全力で盛り上げるべく、開き直る時はブラスまで招いて底抜けに明るいポップを鳴らし、怒りは雪崩のように畳み掛けるリフや雷鳴のようなギターソロの応酬と共に叩きつけられ、絶望のどん底では弩級のヘヴィネスが地面を覆う。

しかし、本作はそんな死の恐怖をコンピレーションした単なる悪趣味な作品ではない。彼らはそのような死の光景を描くと同時に、「だが、あくまで今の我々は、そして君たちは生きているのだ」と語る。

まるでパレードのような壮大な構成と、スタジアムを一瞬で掌握するほどに圧倒的にキャッチーなメロディによって、今ではポップ・パンク史上屈指の名曲とされている"Welcome to the Black Parade"では、父の死を目前とした人物に「心を砕かれた人々や、絶望に打ちのめされた人々を救う救世主となってくれ」と託され、その意思を受け継ぎ、どれだけ挫折して傷だらけになっても、それでもなお死ぬ覚悟で前へと全力疾走する姿が描かれる。

言い訳もしないし、謝罪もしないつもりだ
恥ずかしくもない。自分の傷跡を見せてやるよ
全ての傷ついた者たちにエールを送ってくれ
さぁ、聞いてくれ、これが僕たちなんだ
僕はただの人間だ。英雄なんかじゃない
この歌を歌わなければならない、単なる少年というだけだ
僕はただの人間で、英雄なんかじゃないんだ
もう僕は気にしない
僕たちは進んで行く
("Welcome to the Black Parade")

そう、本作はあくまで「死」と向き合うことで、這いつくばってもなお「生」へと向かっていくことを描いているのである。ボロッボロの状態でも、まだなんとか立ち上がって希望を歌っているのだ。そして、彼らは「自らが不完全である」と叫ぶことで、生きづらさを抱えている人々を強く勇気付けた。

話してもいいかな?
分かるだろ?僕が不完全な人間だっていうこと
人生っていうのはあまりにも多くのことを要求するから、
すっかり疲れ切っているよ
恋愛だってそうだろう。もう何も話せなくなってしまったんだ
(中略)
僕は、生き続けることを恐れない
僕はこの世界を一人ぼっちで歩くことも怖くない
でも、君がもし一緒にいてくれるなら、僕は救われる
たとえ何を言われたとしても、僕は絶対に元の自分を取り戻すんだ
("Famous Last Words"より)

今作の大ヒットによって彼らは前作以上のブレイクを果たし、世界中のスタジアムでツアーを繰り広げ、日本国内でも高い人気を獲得するほどのロック・バンドへと成長した。一方で、あまりにもブレイクが急速だったからか、あるいはフロントマンのジェラルド・ウェイが依存症などの問題を抱えていたからか、正直言ってパフォーマンスはそれまでのスタジアム・スターとは比にならないくらい酷いクオリティだったし、メイクや衣装などの見た目やポップ・パンクという軽視されがちな音楽性、男らしさの欠片もない佇まいも相まって、彼らに対する批判の声は日増しに高まっていった(多くの著名なロック・バンドも公然と彼らを批判した)。当時の音楽フェスでは観客からブーイングのみならずペットボトルを大量に投げられることも珍しくなく、彼らのファンが肩身が狭い思いをすることも多かった。だが、リアルでもそこまでボロボロになりながらも、ステージに立ってパフォーマンスをしてくれる彼らの姿は、彼らの楽曲に共感する人々にとって、もはやヒーロー以外の何者でもなかった。

当時の筆者も色々と問題を抱えていたが、実際にマイ・ケミカル・ロマンスのファン・コミュニティは他のコミュニティと比較すると、やはり"生きづらさ"を抱えている人々が多かったようだ。例えば、クィア・コミュニティはその一例であり、2019年にバンドが再結成を発表した際には多くのクィアなファンが喜びの声をあげていたのである。バンド側、特にジェラルド・ウェイもクィア・コミュニティを強くサポートしており、今や彼はクィア・アイコンとしてもメディアで語られるようになっている。彼らがあの時代にスタジアムに立っていたことによって、おびただしい批判に隠れながらも、本当に多くの人々が救われていたのだ。

マイ・ケミカル・ロマンスは、2010年にカラフルな世界観を押し出し、ポップ方向に突き抜けた快作「デンジャー・デイズ」を発表した後、2013年に解散を発表する。その後の活動として最も有名なのは、ジェラルド・ウェイが原案を手掛け、Netflixのドラマも人気となっている「アンブレラ・アカデミー」だろう。同作も、マイ・ケミカル・ロマンスの活動と同様に、多くのはみだし者が活躍する作品となっている。

また、彼らの存在は今なお絶大な影響を残しており、その最たる例は2010年代後半に生じた、リル・ピープやジュース・ワールド、XXXテンタシオンなどで知られるエモ・ラップの流れだろう。「男だろうと、弱音を吐いたり絶望した姿を見せても良い」という旧来のマッチョイズムに縛られることのない表現の在り方は、まさにマイ・ケミカル・ロマンス以降の価値観である。また、今年のサマーソニックでも来日が決定しているイギリス出身のヤングブラッドはパンセクシュアルを公言しており、自身のツアーではジェンダー・ニュートラルな設備を用意するなど、クィア・アイコンとしても近年強く支持されているが、そんな彼もマイ・ケミカル・ロマンスから絶大な影響を受けたことを公言している。そして、近年のポップ・パンク復権のムーブメントにおいても、ルーツとして極めて重要な存在だ。

正直言って、マイ・ケミカル・ロマンスのファンだった当時の自分は物凄い頻度で人生を投げ出したくなっていたし、あれから10年以上が経った今でも精神的な問題は脅威となって襲いかかってくる。だが、それでも、たとえヤケクソだろうと生きている理由の中には、少なからず彼らの存在がある。あの頃の彼らは、まさにヒーローとなって、たとえ格好良くなくても、イケてなくても、社会が求める規範に合わせることがどうしても出来なくても、ネガティブな思考に覆い尽くされても、「それでも生きていて良いんだ」と教えてくれたのだから。

そして今日、マイ・ケミカル・ロマンスが遂に新曲、"The Foundation of Decay"を発表した。

はっきり言って、普通に「ザ・ブラック・パレード」の再現ライブをやるだけで彼らは大儲け出来るのだ。だが、彼らは当時の音楽性を更に磨き上げ、渾身の新曲を叩きつけた。約6分にも及ぶ壮大かつ過剰な楽曲構成、初期楽曲を彷彿とさせるブレイクダウンをも含む弩級のヘヴィネス、そしてスタジアムを覆い尽くすような光輝くかのようにポップなメロディ。何より、あらゆる感情をぶちまけながら、それでもヤケクソになって泣きながら全力疾走していく"あの感じ"で満ちている。"I'm Not Okay"から18年が経った今でも全く大丈夫ではないけれど、少なくとも自分はまだ生きている。とりあえずは、その偉大なる功績に対して祝杯を贈ろうではないか。そして再び歩き出すのだ。

あぁ、とても心地が良い
腐敗していくこの場所に横たわっている方が、ずっと落ち着くんだ







とっとと起きやがれ、この臆病者!!!!!
("The Foundation of Decay"より)

さぁ、棺を出るぞ。

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