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自分を殺すほど自分が生きる

誕生日を迎えました。59歳になりました。

新暦での誕生日は先週でしたが、

今日は旧暦三月三十日。私は旧暦では、この日生まれなのです。

旧暦が好きな私。
5年ほど前、「自分の誕生日は旧暦ならいつだろう?」と、新暦を旧暦に変換してくれるサイトを検索してみたのです。

事前に予測をしてみました。

私は月を見るのが好きなので、満月の日、「きっと十五日だろう」と、変換サイトの「計算」をクリックすると……三月三十日! 旧暦には三十一日はないので、弥生の最終日です。

三月じんとも言います。尽はその月が尽きる日、つまり月末ですね。

月は見えません。国立天文台のサイトで「今日のこよみ」を見ると、ごくごく細い月が昇りますが、東京の月の出は4時33分。日の出が4時51分なので、線のような月は明るくなってきた空に完全に溶け込んでしまうでしょう。

月の見えない日に生まれたから、月を恋しく感じるのか?と思いました。

これを知った時に思い出したこと。以前、知り合いに占いに詳しいという方がいて、私を占ってくれたのです。

「あなたは自分を殺すほどうまくいく」と言われました。

逆の言い方をすると、自己主張をしたら、まわりに受け入れてもらえないということ。その時の私は、まだ若かったこともあって聞き流していましたが、やがて、たびたび、「本当だなぁ」と実感することになります。

不愉快なトラブルが生じた時……。
あとで自分なりに原因を分析してみて、「私が我を張ったからだなぁ」と、何度もため息をつきました。相手の方が明らかにひどい場合も多かったのですが、それなら私は逃げればよかったのです。カチンときてしまい、逃げずに対抗した時は、たいていもつれて、こじれるのでした。

「よし、これからは意識して自分を殺そう!」
そう考えるようになってから、私が人間関係でいやな思いをすることは劇的に減りました。
ただ、「自分を殺す」のはなんだか悲しいので、「自分を消す」に改めました。

そんな意識改革があった上での「旧暦誕生日は三月三十日!」でしたので、とても納得したものです。人間のタイプを太陽と月に分ければ、私は月。三月尽は、その月が極細で、太陽の光にずっと消されている日です。「私に世の中の渡り方を指南してくれている」と感じました。

私も生身の人間ですから、たまには我を通したくもなります。
そんな時、教訓のように思い出されるあやまちがあります。

若かりし頃、男のお子さんがいるひととつきあっていました。
よく3人で焼き肉屋に行ったものです。

彼女の息子さんは、私と正反対で、華があります。だから、目立ちます。
その日も、じつに楽しそうに肉を焼く少年が、まわりの人の目を引いたのでしょう。隣のテーブルの、ご夫婦らしいお二人も、たびたびこちらを見ていました。そして、ご婦人のほうがその子に微笑みかけたあと、私に向かって「お父さんにそっくりですね」と言ったのです。

本当の父親だと思われた私。微妙に笑うのが精いっぱいで、曖昧な返事しか言えませんでした。そのことで彼に複雑な思いをさせたのではないか……と後悔しています。

今の私だったら、1秒の間もおかずに「そっくりでしょう!」と、満面の笑顔で言えるのに。当時はまだ、つまらない自意識が強かったのです。
もっとも彼の方は、そんなこと気にもしてなくて、とうに忘れているかもしれませんが。

まだ4月、旧暦三月の春なのに、もう夏の花、待宵草まつよいぐさが咲いていました。よく月見草に間違えられる花です。

月の出ない宵にもこうして咲くんですね。

私が待宵草のような立場なら、「あ、月見草だ」と間違えるひとがいても、にこやかに笑っていたいです。

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