雑記:RPGシーズン到来
俺はアクションゲーマーを自認している。反射神経を張り巡らせ、正確にボタンを押し、暴虐的なコンボを決めるのが俺の得意とするところである。テクノロジーの発展著しいこのご時世、キビキビとしたアクションゲームこそが本来あるべきモダンなゲームだと言って憚らない。いやちょっとは憚れ。
それとは逆に、自分のターンがやってくるのをチンタラ待ったりチマチマとレベル上げに勤しんだりするコマンドRPGは年々苦手意識が増していくジャンルだ。口を開けばやれ「コマンドRPGは老人向け」だの「アクションゲームできない人のためのジャンル」だのと、俺は愚にもつかないことを放言している。冗談半分とはいえロクでもない。
これは、言ってしまえば怠惰と酸っぱいブドウがないまぜになったような感覚だ。「RPG特有の長いストーリーは集中力が保たない」とか「正しいキャラビルドをするための長期的な目線に欠ける」といった、俺自身のRPG適性のなさの裏返しだ。
RPGは俺向きじゃないと公言していた。そのはずなのに、どうしたことだろう。今年に入って俺がやっているゲームはRPGばかりだ。おかしなことだが、長くゲーマーをやってりゃこういうこともある。
RPGシーズン到来だ。
バルダーズゲート3
並み居る強豪を押しのけて昨年のGOTYを総ナメにした『バルダーズゲート3』だが、ナメていなかったといえば嘘になる。「アレでしょ?見下ろし型のCRPGってニッチさがウケたんでしょ?」などとゲスの勘繰りをしていた。
俺は完全に間違っていた。バルダーズゲート3は掛け値なしに面白い。
まるで見当もつかないほど膨大な会話分岐、柔軟な発想が試される戦闘、好きにも嫌いにもなりきれないクセ強コンパニオン、古典的ながらもヒネくれたダンジョンズ&ドラゴンズの世界観。そこに加えて、マルチプレイでTRPGセッションのような楽しみまで生まれるのだから、このゲームは本当にすさまじいポテンシャルに満ちている。
鍵のかかった宝箱を開けるというアクションだけでも少なくとも三通りの解答(鍵を使う/ピッキングする/ブッ壊して開ける)があるバルダーズゲート3は、ロールプレイの自由度をあらゆる場面でダイレクトに味わわせてくれる。プレイヤーが考えそうなことはほとんど先回りされているというヤバいゲームだ。時々おかしなことも起こるけれど、マルチプレイではそれすらも話の種になる。
本作の魅力はいくらでも細分化して語れるだろう。その一方で、バルダーズゲート3が多くのGOTYを獲った理由は割と明快だと思う。「CRPGを知らない人間にCRPGを楽しませた」こと、それに尽きる。ニッチさがウケたのではなく、隙間そのものを大きく広げたことがウケたのだ。
CRPGのオタクからすればバルダーズゲート3の物足りない部分や浅い点が目につくかもしれないが、そもそもCRPGはかなり難解で人を選ぶジャンルだ。それを数々の工夫でとっつきやすくした時点で、このゲームはすばらしい偉業を成し遂げたといっていいだろう。
とっつきにくそうなゲームを格段に遊びやすくキャッチーにしたという点で、バルダーズゲート3とペルソナ3は少し似ているかもしれない。ナンバリングの数も同じだし……な?
龍が如く8
コマンドRPGだからという理由で龍が如く7を遊ばなかったのに、結局龍が如く8を始めてしまった一貫性のなさに我ながら情けなくなる。しかしそれを恥じて遊ぶのを止めようとはサラサラ思わないくらい、龍が如く8は楽しいゲームだ。
龍が如くがゲームとして完璧だったことはおそらく一度としてなかったけれど、ユーモアセンスはいつもキレッキレだ。龍が如く8でもそれは変わらない。ナンセンスギャグ、エグめの下ネタ、スベり笑い、変に手の込んだパロディ、なんでもアリだ。7からの新主人公である春日一番がものすごく快活でノリのいい男なので、旧作よりもカラっとした陽性の笑いが生まれているのも新鮮な感じがする。
桐生ちゃんやキムタクが真面目な顔でおかしなことをするのもめちゃくちゃ面白かったけれど、それはそれ。
驚いたのは、コマンドRPGとしての戦闘部分がかなり楽しめることだ。アクションゲームだったころから龍が如くの戦闘はあまりスマートな出来栄えではなかったので、その辺にはハナから期待していなかったというのが正直なところだった。
ところが実際に遊んでみると、敵と味方の位置取りで火力が伸びたりするのがなかなか面白い。一番がブン殴った敵が吹っ飛んだ先に桐生ちゃんが待ち構えていて、追撃の廻し蹴りでさらにダメージが加速したりする。敵も味方もウロウロ動き回るのでうまい位置取りを決めるのはちょっと難しいけれど、パーティで戦ってる感覚をうまく味わえるいいシステムだ。
惜しむらくは、寄り道要素が多すぎる上にクオリティがまちまちになっていることだろうか。といっても、これについては龍が如くの宿命みたいなものだし、毎年新作を出すという狂気じみた開発サイクルを考えれば、致し方ない話かもしれない。
それに、俺が龍が如くに求めているのはそういうゲームとしてのソリッドさではない。如く以外で味わえないユーモア、風刺、泣き……そういうエモーショナルな部分での巧みさなのだ。
ペルソナ3リロード
ペルソナ3は2006年発売なので、もうレトロゲーに片足突っ込んでいるようなものだ。なのに、あまりそういう感じはしない。ペルソナ4の格ゲーが実質的にペルソナ3の後日談になっていたり、数年前には豪華な劇場版も作られたりしていたからだろうか。
この劇場版がどれくらい豪華かというと、なんと作中の四季に合わせた驚異の四部作だった。1作あたりの尺は100分前後で短めとはいえ、破格のアニメ化といえるだろう。ペルソナ4のアニメの評判がやたらよかった(というか当時は深夜アニメ全般が上り調子だった)こともあり、イケイケのアトラスとアニプレックスは頭のネジが外れまくっていたのかもしれない。
ともあれ、ペルソナ3に関するイメージは俺の脳内で定期的にアップデートされていた。こないだ改めて原作のグラフィックを見て、解像度やらポリゴンの粗さに愕然としたほどだ。比喩とかではなく、色使いそのものが今のペルソナシリーズのそれとはだいぶ異なっていて、全体的に白っぽかったりした。
10数年の間に原作からじわじわズレ続けた脳内イメージにぴったりとハマるビジュアルをしているという点で、『ペルソナ3リロード』は完璧なリメイクだった。キャラの等身は上がり、演出はリッチになり、解像度は4Kになり、今思えばちょっとクセのあった立ち絵もシュッとスタイリッシュになった。ペルソナ5で一世を風靡したUIも美しく逆輸入されている。
ブラッシュアップがあまりにも自然なので違和感すら覚えないP3Rは、「現代に蘇ったペルソナ3」という表現がこのうえなくしっくりくる。アトラスは年々銭ゲバになりデリカシーがなくなっていくけれど、流石に見直さざるをえない。P3Rにかける情熱と執念の半分でもアレとかアレに注いでくれていれば、そもそも見直す必要すらなかったのだけれど。
ビジュアル100点満点のP3R。とはいえ悩ましい問題も抱えている……変わり映えしないタルタロスだ。
愛想の欠片もない自動生成ダンジョンをただひたすらに登り続けて敵を倒し続ける、JRPG史に残る虚無の煉獄。まさか2024年にもなってこんなもんをやることになるとは思わなかった。
タルタロスのなにがよくないかといえば、ダンジョン攻略自体が単調なうえに、カレンダー制のストーリー進行のせいで「タルタロスを初日踏破し残った時間でコミュ進める」がほとんど最適解になってしまっていることだ。これはゲームをミクロとマクロの両面でつまらなくする、ペルソナ5に至るまで続く根深い問題である。
だが、それでもなお、ペルソナ3にはタイムレスな魅力がある。それはどこか気だるく淡い学生時代であり、容赦なく移ろう季節であり、夜に漂う緩慢な死と影の香りだ。デジタルな要素や時事的なネタが比較的少ないこともあって、このゲームは時の流れからうっすら切り離されたような雰囲気を纏っている。思い出補正といえばそれまでだが、この雰囲気はペルソナ4や5と比べてもやはり唯一無二のものがある。
それを失っていないのだから、やはりP3Rは俺にとって最高のリメイクだ。
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