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もうここには帰って来ない方が良いんだなと感じた

この年末年始も地元に帰省した。

ありがたいことに小中高時代の多くの友人が会ってくれる。

私の地元は田舎である。東京に数時間で行けるとはいえ、山の麓に位置し、人口は数万人である。

私は高校時代からこの地元を早く出たかった。
そのために地元から遠い大学を選んだ。

20歳になり成人式の際の中学校同窓会で、将来地元には帰らないことを決意した。当時仲が良かった中学時代の友人の半分以上とは会話をするのがきつかったからだ。共通の話題も少なく、面白いと思うことも違った。

この時から、私は地元に拒絶されていたのかもしれない。
私が地元を拒絶しているのではなく。

もちろん話が弾む友人も僅かばかりにいたし、高校時代の友人は今でも会いたいと思う。

私は大学院に進学し、就活を終えた。

地元には戻らない。


今回の帰省で、地元で働く仲の良い友人に会った。

彼は教師だ。決して良いとは言えない労働環境で、子供の成長を見守ることにやりがいを見出している。
心から尊敬できる友人だ。

彼は東京の大学に進学した後に、地元に戻ってきた。

私は心のどこかで、こんな田舎に帰ってくるなんて、という風に地元で働く人を下に見ている自分に気付いた。

私は都会に行くけど、君はこれからもずっとここで働くんだね。

そんな自分に嫌気を感じた。

彼らには彼らの人生がある。きっと私が感じたことのない地元の魅力をたくさん知っているだろう。

私は地元を離れた人間だ。

帰ってくる度に地元に残っている人たちを憐れんでしまう。
もうここには帰って来ない方が良いんだろうな。
今回の帰省でそう感じた。

憐れんでいるものの、彼らの気持ちを理解したいとも思う。
我ながら傲慢だと思う。

ただ、当然ながら完全に理解はできない。

かつては同じ教室で同じ授業を受けていた。
なのに将来進む道は大きく離れている。

彼は帰ってきた。
私は帰らない。

別にどちらが正しいとかではない。

どこでこんなに、なんでこんなに、離れたのだろうか。


やはり人間は、自分の経験が全てだ。

他人の思考を理解しようとしても、そこに辿り着くまでの経験が違うため、同じ思考を共有することはできない。

地元に残り続ける友人たちの気持ちを理解したいとは思うが、ここまでの人生の過程・経験は当然異なる。

理解したいという思いと、憐れむ気持ちが、頭の中でグルグルしている。この状態で彼らと会うのは失礼なことだとも思う。


正直に言って、地元は好きだ。
会いたいと思う友人がいることは幸せだ。

ただ、死ぬまでここにいることは耐えられない。

だから私は離れる。

たまに帰って来るくらいが丁度いい。

いつか、何十年後か分からないけれど、この頭の中のグルグルが解消される日が来るだろうか。

地元で働く友人たちを応援しつつ、私も遠くの地で精一杯生きようと思う。

それまでは、さようなら




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