【福島県双葉郡】富岡町のさくら 一度見てみませんか

 富岡町の町民の誇り。それは桜です。約2.5キロ続く桜のトンネルは、見応えがあります。

この桜の歴史は・・・
明治時代、旧小高町出身の半谷清寿氏が農村開発を手がける一方、荒れた土地を切り開いた記念にソメイヨシノザクラ300本を植えたことが始まりです。その後、父の思いをついだ息子の六郎は1,000本のサクラを植え、いまでは約2,000本を数えるまでになりました。
※福島県教育委員会HPより抜粋

 しかし、2011年の原発事故により、富岡町には避難指示が出され、町全体に住むことができなくなってしまいました。それでも桜は毎年花を咲かせ、町民の帰りを待っていました。
 印象的で私の心に強く残っていることがあります。それは、原発事故後に避難所となったビッグパレットふくしまでの出来事です。避難所の掲示板には、だれもいない町で咲く、桜の写真が貼られていました。その桜を見て、涙を流している人がいたのです。突然日常が奪われ、ふるさとを離れ・・・やりきれない思いがあったのだと思います。ふるさとへの思い、桜への強い思いを感じた瞬間でした。

 その後、富岡町の避難指示は段階的に解除され、2017年4月1日には、一部の帰還困難区域を除き避難指示は解除されました。帰還困難区域を除いて、人が住んでもいいようになったのです。
 ちなみに、避難指示がでているときには、自宅に帰るにも申請を出す必要があり「自分の家に行くだけなのに、なぜ許可を取らなければいけないのか」と嘆く声をたくさん聞きました。

町内に居住している人は、791名(2018年10月4日現在)と、全人口の1割にも満たないのが現状です。
※富岡町HP県内外の避難・居住先別人数【平成30年10月1日現在】から筆者が計算

 桜のトンネルがあるのは、夜の森という地区にあります。名前もステキです。桜は2.5キロにわたって両脇に植えられ、桜のトンネルになっています。何キロも続く桜のトンネルは圧巻です。ですが、この桜並木、途中までしか行くことができません。トンネルの奥は、帰還困難区域のため、途中からバリケードで区切られているのです。

 バリケードからもはっきりと桜を見ることができ、バリケードから先の桜はだれも入ることができないため、多くの人が観賞している桜まつりの桜並木と対照的に、さみしさが感じられます。
 帰還困難区域と避難指示が解除された地域とは、ただの線で区切られているだけです。空は、空気はつながっています。住民の方々のかなしさ、やるせなさ、無念さは計り知れません。

 そして、桜並木に戻ると、中学校の道路を挟んで反対側が帰還困難区域になっています。道路一本でまったく状況が異なることがわかります。桜並木の道路がちょうど「入れる、入れない」の境界線になっているので、原発事故後の避難指示や解除の変遷を理解できる、貴重であり、つらい場所でもあります。

 今年も見事に咲き誇った桜。人々の目を楽しませています。震災直後から数年、人がまったく入れなかった、いなかったことを考えると、こんなに多くの人が訪れている様子を見ると感慨深いものがあります。もっと多くの人に富岡町、その現状を知ってもらいたいと思います。

 今年の桜祭りは終わってしまいましたが、4月14日(日)まで桜並木のライトアップがあります。ぜひお出かけください。また、富岡町から「観桜される皆様へ」という案内もあったので、車でお越しの方は決められた場所に駐車してお楽しみください。

・ライトアップについて
https://tomioka-plus.or.jp/event/yonomorisakura-lighting-up2019/
・駐車場について
https://www.tomioka-town.jp/soshiki/sangyoshinko/shoko/oshirase/2419.html


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