【人事の方へ】学歴で評価するなら、大学ではなく、高校と指導教官を見た方がいい

日本が学歴社会かどうかは、議論のあるところかもしれませんが、社会学の分野ではしばしば学歴に基づく偏見があることが指摘されています。

高卒か大卒か、大卒も旧帝大かそうでないか、など見方はいろいろです。

なんとなく、東京大学卒業であれば、頭は良さそうだということは皆さん思うのではないでしょうか。

東京大学や京都大学卒業であれば、勉強ができるということは。かなり確からしいでしょう。(これも偏見でしょうか)

まったく同じ能力を持った人がいたとして、どちらを採用するかを選んでもらうと東大卒を選ぶ人の割合が多いのではないでしょうか。

多くの大学については、人により、あの人は○○大なの?というギャップを感じることもままあります。

こんな始まりですが、今回は10月1日に内定式らしいリクルート姿の学生を見て考えたことをnoteします。


大学よりも重視してほしい2つの視点

主に就活の時の話になりますが、就活時に人の本質を見抜くことはかなり困難です。そうなると、一定程度学歴の比重が大きくなってきてしまいます。

もし、あなたが学歴で人を評価する尺度をもってしまっていると認識していて、でも全然あてにならないなと心のどこかで思っていたら、下記の基準もみてあげてもらえると少しだけその人への理解が深まると思います。

1 卒業した高校

2 大学で指導された先生


日本の教育システムは面白いもので、多くの場合、

中学校~高校~大学

と進学するにつれて同じようなタイプの人が集まってくる”わけではありません”。

中学校は、ほとんど公立で、その地域の多様な子供が入学します。


一方で、高校は、偏差値が区切られるうえ、"人数が少ない"ため、全生徒がその高校の色に少なからず染まっていきます。

似たような人たちが元々集まるので、友人から受ける影響も突飛なものにはなりづらいでしょう。

学力と環境が整うと、全人口からみればかなり似通ったタイプの人の集合体といえると思います。


大学入学すると、高校とはまったく違う環境が待ち受けています。

まず偏差値は幅広く、場合によっては推薦で学力的にはレベルの高くない学生も入学し、興味の範囲も幅広く、校風というものは感じずらい環境です。

そのため、そこにいる人もまじめな人から、熱血漢から、ちょっとした不良まで、大学のレベルをとわずごった煮の状況になります。

彼らは一人ひとりある程度の自由を持ち合わせているので、この大学の大学生らしいという姿は構築されづらいといえると思います。

そして、日本の大学は卒業は難しくありませんが、卒業へのやる気に違いを見せることはできます。

それが卒業研究です。

卒論を書いたり研究をしたり、学部によっては研究しなくても卒業できてしまったりしますが、頑張りたい人はここで頑張ることができます。


卒業した高校を見た方が良い理由

一つ目、卒業した高校の視点を持った方が良い理由です。

高校である程度人格が形成されます。

高校から、ある程度どういった価値観をもっているか、それをうかがい知ることができます。

少なくとも出身大学を見るよりも確実と思います。


指導してくれた先生を見た方が良い理由

二つ目は、大学で指導された先生です。

その人が、大学でどんな学びをして、どんなアウトプットをだしたのかということは卒業研究に集約されます。

もし、指導が丁寧もしくは厳しいという触れ込みの先生から指導をいただいていれば、研究をする力、すなわち既存の事実を整理し、新しい知見を世の中に提供すること、その価値や方法をかなり会得していると考えられます。

経験則ですが、これも大学で人を判断するよりもよほど確実です。

大学の講義のレベルは多少大学により違いはあるかもしれませんが、A先生の指導はB大でもC大でもほとんど変わらないはずです。

大学よりも先生を見た方が良いというのはこういった考え方からです。


履歴書を参考にするのであれば、大学以外の重視も

理想を言えば、大学などは関係なく、どれだけ熱意をもっていて、どういうことができるのか、そんなことを判断に持ち込みたいところです。

しかし、今はエントリーシートで、面接もなく落とされる時代です。

もちろん志望理由やエピソード大事ですが、そこで甲乙を付けづらいこともあると思います。

次に大学の欄をみるのではなく、高校がしっかりしていたり、指導している先生がきちんとした人を重視するということもあるんだと思います。


学歴で評価をくださざるを得ないジレンマを抱えている方は多いんではないかと思います。

そんな時にふと思い出してもらえたら大変ありがたいです。

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