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キャミソールと乳首と人生のおかしみ

もう何年も前のことである。

夜、わたしはパソコンに向かい仕事の残りを家でやっていて、夫はテレビを見ながら洗濯物を畳んでいた。たしか秋の夜で、テレビではニュースをやっていた。仕事をしながら時々、小さな音で流れているニュースを聞いていた。

と、突然。

夫が一枚の洗濯物を手に取った瞬間、狂ったように笑い出した。「ぎゃはははははは。ははは。ふあははははは、あはあ−、あはあー、ふふっ。くっ。あはははは。はあっ。はあ…はあ…はあっ」まるで拷問に合っているかのように身もだえして笑っている。

狂ったのか。夫よ。わたしはうろたえる。

「なによ。なに? どうしたの? え? なになに? なんなの?」

夫は息も絶え絶えに、畳もうとしていたわたしのキャミソールを差し出した。

それはわたしが気に入って何年も愛用していた無印○品のグレーのキャミソールだった。その、胸のふくらみが来る部分に2箇所、影のような丸いしみができている。大きさは、直径3センチくらい。母乳を与えているお母さんならわかる。それは、お乳がしみ出て作ったしみだろう。でも、うちには乳児はいないのである。

「なにこれ?」と手に取った瞬間、夫の爆笑の意味が分かった。

それは、しみではなかった。グレーの生地が薄くなって透けることによって黒く見えていたのだ。そう。わたしの2つの乳首が、長年にわたってキャミソールの生地を丸く削ったあとだったのだ。

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「ぎゃははははは!!」

もう、笑った笑った。2人で、部屋の空気が薄くなるんじゃないかと思うくらい笑った。近所迷惑も考えず、大笑いした。

ここでお断りしておく。「キャミソールの生地が削れてしまうくらい乳が大きいのか」と思う人もいらっしゃるかもしれないが、それは逆である。わたしは普通に貧乳である。巨乳であれば、キャミソールはピッタリと乳首と乳に張り付き、大きくこすれたりしない。貧乳であるからこそ、キャミソールと生地の間に遊びが生まれ、乳首と生地がこすれるのだ(わたしは基本、ノーブラです)。

ひとしきり笑ったあと、他のキャミソールも見てみたら、すべてのキャミソールの乳首部分の生地が丸く薄くなっていた。またまた2人で大笑い。なんで今まで気づかなかったんだろう…。それに、そんなに何年も下着用のキャミソールをしつこく着ていることも笑う。

わたしは思う。生地を削り続けた乳首のことを。乳首は毎日、けなげに生地を削り続けた。少しずつ。少しずつ。誰にも知られず、服の中でひっそりと。この事実にわたしは、自分の体を愛しく思うと同時に、人が生きることのおかしみについて思いを馳せた。生きていくということは、どんな人であっても、きっとどこか滑稽なのではないか。

だって、どんな人の乳首も、着ているものの内側の生地を削っているのだ。それが目に見えるほどではなくても。男でも、子供でも、たとえ巨乳であっても、政治家も、先生も、ホストも、OLも、きっとわずかに毎日削っているはず。

あなたの乳首も、この瞬間に、削っているのだ。

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