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【演奏会編】1972年、新日本フィル結成特別演奏会当日にタイムスリップ!

新日本フィルnoteではダントツの情報量「岡田友弘《オトの楽園》」。指揮者の岡田友弘が新日本フィルの定期に絡めたり絡めなかったりしながら「広く浅い内容・読み応えだけを追求」をモットーにお送りしております。今回は「新日本フィル創立50年記念特集」として、2回に渡り1972年9月15日の結成特別演奏会のおはなし。後編は9月15日の結成特別演奏会を当時の新聞や雑誌がどのように伝えたのか?を中心に、当日の演奏会の様子を想像していただけたら・・・そんな内容のお話です!

前回の「できごと編」では、当時の社会風俗、文化について、演奏会当日の新聞を参考にしながら結成特別演奏会当日の様子をのぞいてみた。

後編では、その演奏会の様子を新聞や雑誌の記事を参考にしながら、当日の雰囲気や当時の音楽界の空気、温度を感じていただけたらと思う。

当時の新聞や雑誌は新日本フィルと結成特別演奏会をどう伝えたのか

さて、当時の社会風俗を知ったところで、9月15日の結成特別演奏会や新日本フィルを新聞や雑誌がどのように伝えていたのか?ここでは9月20日の朝日新聞と「音楽の友」11月号に掲載された記事をもとに紹介したい。

上野のシンボル的存在、高村光雲作による西郷隆盛像(著者撮影)


朝日新聞1972年9月20日記事より

記事のタイトルは《二つの”日フィル”をきく》。見出しは「伝統の持味で”熱演” 労組系」「新しい音質生み出す 新結成」

「新結成」と称されているほうが新日本フィルである。実は9月15日に新日本フィル結成特別演奏会が開かれ、翌16日には日本フィルの定期演奏会が、同じ会場で開催された。記者はその「二つの日本フィル」を聴き比べしたことを記事にしている。

ここでは新日本フィルに関係する部分を引用したい。

ついに二つのオーケストラに分裂した日本フィルハーモニー交響楽団の、双方の演奏会を、二夜つづきできくことになった。会場も同じ東京・上野の東京文化会館である。[中略]主席奏者(記事表記のまま)と管楽器系を主体に新しく発足した〈新日本フィルハーモニー交響楽団〉のほうは、むろん十五日の結成特別演奏会が初演奏である。

結論めいたことを先にいえばーーー音の体質からみて〈新日フィル〉はまったくといっていいほど新しいオーケストラである。

オーケストラの規模は二管編成で、今日のような大オーケストラ時代にいきる、われわれの耳には、とくにベルリオーズのような華麗な色彩感をふりまく曲では音量的にさびしい思いがするのはやむをえない。それはともかくとして、少人数ながら各パートの奏者が力いっぱいに演奏する充実した音を冷静に積重ねて小沢の整理された棒さばきには、やはりこの人ならではの凄味(すごみ)がある。

「英雄」の終楽章のコーダがプレストでばく進する熱気などは演奏の「大きさ」が編成の「小ささ」をうち消したといってもよかろう。まん中で演奏されたラベルでは木管奏者たちの好演で、この可愛らしい童話の音画をこまやかに描くほどのゆとりも見せた。日フィル解散という異常事態が生み出したとはいえ、わずか二ヵ月ほどで、ともかく、性能のよいオーケストラがつくりだされる程日本の演奏分野のスソ野が広がったのだろうか。聴衆は満員に近い盛況だった。
1972.9.15朝日新聞夕刊7面より抜粋引用

僕の印象としては、朝日新聞の記者には演奏会が概ね好印象だったと感じられる。しかしながら一人の記者の目だけでは不十分なので、より多角的に様子を知るために、僕はある雑誌を手に取った。

結成特別演奏会が開催された東京文化会館の入口(著者撮影)
東京文化会館の楽屋口。当日出演者たちはこの入口から入館、演奏会に臨んだ。(著者撮影)


「音楽の友」11月号「楽壇の眼」


現在も発行されている、我が国クラシック音楽の「旗艦誌」といえる「音楽の友」。その11月号「楽壇の眼」という連載コラムに、新日本フィル結成特別演奏会についての記述があった。筆者は音楽評論家横溝亮一さんだ。僕は高校生のときに「ウィーンのおばあさんとプラハのおじいさん」という横溝さんの音楽エッセイを愛読していた。ちなみに横溝さんは「八つ墓村」「犬神家の一族」などで知られる作家横溝正史の長男。我らがマエストロ小澤征爾さんの隣に住んでいた「ご近所さん」でもある。

横溝亮一さんの父で、作家の横溝正史


その横溝さんが「二つの"日フィル"をきいて」と題して当時の演奏会の様子や自身の思いを綴っている。50年後の僕たちにとっても、1972年当時のクラシック音楽界の状況を窺い知ることのできるものだ。

奇遇にも前述の朝日新聞の記事のタイトルと酷似していることは興味深い。そこから想像するに、当時は「二つの日本フィル」という共通認識があったのだろう。

それでは、横溝さんの記事から要点となる部分を引用する。

6月末で財団法人解散となった日本フィルは、周知のように組合系楽員の闘争方針に反対する楽員約40人が脱退して新日本フィルを結成しました。財政難でつぶれるという話だったのが、逆に二つになったとは、なんとも皮肉な事態ですが、とにかく音楽をやる以外、生活のすべのない彼等、やむにやまれぬ事情として見るより仕方ないのでしょう。
横溝亮一「楽壇の眼」(「音楽の友」72年11月号)

まさに「仰る通り」。少し離れた場所にいるからこそ、このような書き方になったのだろうか…。とはいえ、当時の流れを端的に述べている「マクラ」だ。

裏側の事情はさておいて、いったいどんな音が出たのか、私のきいた限りの印象を記しておきたいと思います。
横溝亮一「楽壇の眼」(「音楽の友」72年11月号)


このような「これは個人の感想です」的な前置きに続いて、以下のような文が続く。

9月15日に東京文化会館大ホールで新日本フィルの結成披露演奏会が開かれました。指揮はもちろん小澤征爾、ベルリオーズ《ローマの謝肉祭》序曲、ラヴェル《マ・メール・ロア》、ベートーヴェン《英雄》というプログラム、そしてアンコールとしてヴァーグナー《マイスタージンガー》前奏曲が演奏されました。
横溝亮一「楽壇の眼」(「音楽の友」72年11月号)


当日の演奏会はアンコールに《マイスタージンガー》が演奏されたという新情報を得た。さて、今度の定期演奏会はどうなるだろう?このコラムを読んだ方は是非その点にも注目していただきたい。念のため言っておくけれど、僕はその件について全く情報を持っていない。僕自身も会場でそれを楽しみのひとつとして鑑賞したい。

新日本フィルは、日本フィル再建への結果を乱して分派行動を取った連中ーというように伝えられているだけに、いったいどの程度、一般の関心を集めているのか、お客は来るのかどうか、私もいささか疑心暗鬼のところがあったのですが、会場は超満員と表現してよい入りで、外人客が非常に多いのが目立ちました。N響であれ、元の日本フィルであれ、これだけの入り、華やかな雰囲気は珍しいことで、要するに、これは小澤征爾個人の人気が多分に作用しているのでしょう。
横溝亮一「楽壇の眼」(「音楽の友」72年11月号)


モノの言い方、考え方は別にして、当日の演奏会の雰囲気が生々しく伝わってくる。外国人客が多かったという記述は非常に興味深い。

このような事実について、横溝さんは次のように自身の見解を述べている。

一連の日本フィルをめぐる動きとその報道が、強く社会的側面を持ったにもかかわらず、お客はやはり音楽的側面の方を重視していることを示しているようです。
横溝亮一「楽壇の眼」(「音楽の友」72年11月号)



「聴衆はどのように捉えているか」を論じているが、これはある意味「良い音楽をやろう!」と集結した仲間で結成された新日本フィルに対する聴衆の理解や期待と受け取ることができるだろう。

当日の演奏会の印象について、横溝さんは以下のような感想を持っている。

ステージには見覚えのある元日本フィルのメンバーの顔が並んでいました。でも、3ヵ月前までは椅子を並べていたはずの顔が随分と見えない。やはり分裂してしまったのだ、という実感が湧いてきました。全体の人数が少ないので、椅子の配置がステージの奥の方で、要するに小じんまりと小さく固まっている印象です。
横溝亮一「楽壇の眼」(「音楽の友」72年11月号)


まずは「ネガティブな気持ちや印象」から入るのが、この方の「文章技法」のようだ。朝日新聞の記者も「最近の大オーケストラ編成に慣れていた」と懐述していたので、当時のオーケストラは「大規模路線」であったのだろう。とにかく今の状況に寂しさを感じていることが文章からも見てとれる。

演奏そのものについて、横溝さんは全プログラムについて感想を述べているが、ここでは後半プログラムについて述べている部分を引用する。

最後の《英雄》は、大熱演が繰りひろげられ、これは日本のオーケストラでは滅多に聴けぬ素晴らしい演奏、終った瞬間の爆発的な拍手にブラヴォーの声もまた非常なものでした。
横溝亮一「楽壇の眼」(「音楽の友」72年11月号)


マイナスな気持ちから導入して、結局は素晴らしい演奏であったことを熱量高く綴っている。オーケストラや関係者のただならぬ気迫が見事に昇華したことが窺える。当日の記録録音が奇跡的に残ってはいないのだろうか。

横溝さんはさらに続ける。

長い経験を持ったメンバーが多いとはいえ、新しく結成された楽団でこれだけの成果(事実、それは私の予想したものを遥かに上回りました)を挙げ得たのは、一に小沢の卓越した指揮の能力によるところとは思われますが、もちろん、メンバーたちの死活をかけた意気込みも大きいと思います。
横溝亮一「楽壇の眼」(「音楽の友」72年11月号)


素直に「良かった!」「艱難辛苦を乗り越えた!」と称えるだけで良いところを、このように分析することを求められるのが「音楽評論家の宿命」のようなものなのだろうか。色々言っているけど、総合的に見ると「みんなで良い演奏をして、自分も満足した」ということだと捉えたい。

これで終われば万々歳なところだが、文章にはまだまだ続きがあり、これがまた耳の痛いお言葉だ。

このように書くと、すべて新日本フィルは良いことばかりのように思われてしまうかもしれません。でも、やはり新結成の楽団はそれなりの弱味もあるもので、とくに、オーケストラでひきなれていない若い人を加えていることもあって、響きとアンサンブルにゆとりがないのです。きりっと引き締まった演奏といえる反面、どこか血相を変えて弾きまくっているような大らかさ、ゆとりに欠ける側面がありました。そして全体的に音像が小さいのは、人数とも関係があるのでしょう。
横溝亮一「楽壇の眼」(「音楽の友」72年11月号)


評論家という仕事の人は、何かひとつふたつ苦言のようなものを呈さなければいけない決まりでもあるのか?と思わせるくらいの掌返しだ。プロの演奏に「アマチュアイズム」を期待する筆者の思考(嗜好)も窺える。「ないものねだり」は人間の「性(さが)」ではあるけれど、もう少し優しくしても…と思ってしまう。とはいえ最近の評論は奏者やオケとの距離が近くなったのか、どちらかと言うと「褒め系」「絶賛系」「推しに入れ込み系」が多いようにも思う。ネット隆盛、SNS発信の時代においては、発言が思わぬ炎上や中傷、攻撃にさらされることが増えてきた。そんな時代性も関係しているのかもしれない。このような評論もまた、往時を偲ばせるものかもしれない。

横溝さんは続ける。

組合系日本フィルの方々には叱られてしまうかもしれませんが、新日本フィルは、旧日本フィル時代よりも、音は良いと私は感じました。にもかかわらず、ききながらやかつての日本フィルを懐かしく思い起こさせる面があったのはなぜだろう。それは簡単にいえば「年季」のようなものの差でしょう。いかに腕ききの演奏者を百人選りすぐって一夜演奏したとしても、それはあくまで臨時編成の楽団としての音しか出ないもので、これは「オーケストラ」とは呼べません。本当のオーケストラとは、長期にわたって、同じメンバーが相互の技量を信頼しつつ練習と演奏を積み重ねて成立するもので、そこには当面、物理的な音を超えた個有の味が生まれてくるのです。新日フィルは、きわめて性能のよい楽団ながら、個有の味とゆとりがまだないわけで、「年季」の入ってない弱さが露呈されていました。これは将来、解決されていく問題と私は考えたいのですが、弦を中心とした臨時メンバーが固定しない限り、いつまでたっても同じという心配もあります。
横溝亮一「楽壇の眼」(「音楽の友」72年11月号)


これもまた、耳が痛いが「正論」ではある。しかし結成されたばかりのオケである。これらの課題について当時のメンバーも同じ想いだったはずだ。そして、その「答え」は創立50年を迎えたオーケストラの活動の歴史が証明してくれている。

このなかの「オーケストラとは?」と横溝さんが論じていることは、プロのオーケストラに限ったはなしではない。アマチュアのオーケストラでも同じことがいえる。練習を積み重ね、指揮者と合奏を積み重ねて本番を迎えることが理想だが、各地に多くのアマチュアオーケストラが活動していて、恒常的に団員不足に悩んでいる楽団は少なくない。演奏会直前になると「エキストラ奏者」が参加してやっとオーケストラの形が整う。冗談半分に「全員揃うのは本番だけ」という人もいる。音楽以外の仕事において「プロフェッショナル」な人々で構成されているのだからやむを得ない事情もあることは重々承知しているが、指揮者としてはなんとも「寂しい」ことだ。エキストラ奏者の方々は非常に力強いし頼りになる。常に感謝の念に絶えないが、腕ききの人が直前に増えて、例え演奏が「上手」になったとしても、オーケストラの音としてはまとまりがないと感じることは少なくない。また、腕ききのハイアマチュアの臨時編成オケもたくさんある。そしてレベルの高い演奏会を開いている。しかしながら残念なことに活動が途中で停滞したり尻すぼみになったりと、現れては消えていく。僕も横溝さんの言うように、長く続けた「年季」を感じるオーケストラの音が好きだ。そのようなオケをいくつか指揮させてもらっているのは至上の喜びである。

横溝さんは、文末で新日フィルは幸先の良いスタートで、TV出演やレコード録音、演奏会の依頼など、思いの外「好景気」で、9月から早くも毎月5万円の収益分配が始まったことに触れている。しかし、今後の活動は新日フィルだけでなく、日本フィルも厳しいものになるだろうと危惧している。50年後の日本のオーケストラ、クラシック音楽界は、この「課題」を解決できているのだろうか。これについては読者のみなさんそれぞれの考えに委ねたい。

横溝さんは以下の一文で記事を締めくくっている。

最初に述べたように、今日もあすも賑やかに音楽会…。私の胸では、日本における多くの文化活動なるものが、ただの風潮的現象、あるいはまったくの虚飾的アクセサリーでしかないのかというまことに悲しい疑問が次第に哀しみをましてのしかかってきています。
横溝亮一「楽壇の眼」(「音楽の友」72年11月号)


このことは、日本でも世界でも「現在進行形」で起きていることだともいえる。

僕は文化芸術を「近寄りがたき崇高なもの」とは全く思っていない。ましてや富裕層だけのものでもない。オーケストラやクラシック音楽を身近に感じ、気軽に足を運び楽しめるものに、そして地域に愛される活動を展開し、明日の聴衆を発掘し、育て、定着させるためにオーケストラはさまざまなアイデアで奮闘している。新日本フィルは現在、横溝さんの心配とは裏腹に演奏水準もオーケストラとしての「年季」も申し分ないものを得ている。

横溝さんは2015年に亡くなったが、きっと新日本フィルの創立50年を喜んでくださるに違いない。1972年の記事の「応答記事」を書いて欲しかった…そんなことを考えた。

新日本フィルは墨田区を中心に江戸の下町のみならず全国各地を飛び回っている。そして「二つの日本フィル」はそれぞれが特色を生かして、現在でも在京主要オーケストラの一角のみならず、日本全国、そして世界的に知られるオーケストラへと飛躍した。

現在の上野駅公園口から見た東京文化会館。かつての公園口改札は現在の場所から数十メートル南側にあった。(著者撮影)

おわりに

あれから50年…綾小路きみまろみたいだが、新日本フィルは次の50年に向けてさらに魅力あるオーケストラに「変貌」していくだろう。次回9月の演奏会は、1972年9月15日の結成特別演奏会と同一プログラムだ。50年の発展と成熟を是非会場で確かめていただきたい。

新日本フィルは「あの日」のプログラムで「次の50年」への歩みをはじめる。

(文、岡田友弘)

関連演奏会情報

新日本フィルハーモニー交響楽団2022/2023シーズン 
「第643回定期演奏会」

歌劇場指揮者として高く評価、楽団員からの信頼も厚いシュテンツ。
ドラマティックなアプローチで1972年結成特別演奏会のプログラムを再現

2022年9月10日(土)14時開演 すみだトリフォニーホール・大ホール
2022年9月12日(月)19時開演 サントリーホール・大ホール

  • ベルリオーズ:序曲「ローマの謝肉祭」 op.9 Berlioz:Le carnaval romain, op. 9: Overture

  • ラヴェル:組曲『マ・メール・ロワ』 Ravel:“Ma mère l’oye”, Suite

  • ベートーヴェン:交響曲第3番 変ホ長調 「英雄」 op.55 Beethoven: Symphony No. 3 in E-flat major, op. 55 “Eroica”

指揮:マルクス・シュテンツ
管絃楽・新日本フィルハーモニー交響楽団


チケット購入、詳細は新日本フィル公式ホームページをご覧ください。

執筆者プロフィール


岡田友弘(おかだ・ともひろ)

1974年秋田県由利本荘市出身。秋田県立本荘高等学校卒業後、中央大学文学部文学科ドイツ文学専攻入学。その後色々あって(留年とか・・・)桐朋学園大学において指揮を学び、渡欧。キジアーナ音楽院(イタリア)を研鑽の拠点とし、ヨーロッパ各地で研鑚を積む。これまでに、セントラル愛知交響楽団などをはじめ、各地の主要オーケストラと共演するほか、小学生からシルバー団体まで幅広く、全国各地のアマテュア・オーケストラや吹奏楽団の指導にも尽力。また、児童のための音楽イヴェントにも積極的に関わった。指揮者としてのレパートリーは古典から現代音楽まで多岐にわたり、ドイツ・オーストリア系の作曲家の管弦楽作品を主軸とし、ロシア音楽、北欧音楽の演奏にも定評がある。また近年では、イギリス音楽やフランス音楽、エストニア音楽などにもフォーカスを当て、研究を深めている。また、各ジャンルのソリストとの共演においても、その温かくユーモア溢れる人柄と音楽性によって多くの信頼を集めている。演奏会での軽妙なトークは特に中高年のファン層に人気があり、それを目的で演奏会に足を運ぶファンも多くいるとのこと。最近はクラシック音楽や指揮に関する執筆や、指揮法教室の主宰としての活動も開始した。英国レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ・ソサエティ会員。マルコム・アーノルドソサエティ会員。現在、吹奏楽・ブラスバンド・管打楽器の総合情報ウェブメディア ''Wind Band Press" にて、高校・大学で学生指揮をすることになってしまったビギナーズのための誌上レッス&講義コラム「スーパー学指揮への道」も連載中。また5月より新日フィル定期演奏会の直前に開催される「オンラインレクチャー」のナビゲーターも努めるなど活動の幅を広げている。それらの活動に加え、指揮法や音楽理論、楽典などのレッスンを初心者から上級者まで、生徒のレベルや希望に合わせておこない、全国各地から受講生が集まっている。

岡田友弘・公式ホームページ
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