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保健室の先生の励まし①

写真は、現在の母校です。
50年程前、田舎の小学校で、私の人生に大きな影響を与えた話です。

 私の通っていた小学校は、かつて祖父や叔母、義理の叔父が教師をしていた伝統のある古い小学校で、クラスを松竹梅で分けていたようです。当時の私の学年は、松組と竹組の2クラス(35人編成)で、男女はあまり仲の良くない学年でした。

 私は、その小学校で3年生までは天真爛漫な子供で、通知票にはよく明朗活発と書いてありました。

 4年生から6年生までの3年間、仲間外れにされて村八分状態のいじめを受けた辛い時期がありました。そして殆どの友達が同じ目にあっていました。

 ターゲットが次々に代わっていき、仲間外れが解けると、何事もなかったかのように普通に戻り、仲間外れをする側にまわらなければなりません。そして、また目立ってしまうと、出る杭は打たれて仲間外れです。

 仲間外れの原因は、親の事を自慢したり新しいブラウスを着ていたりテストで100点をとったりと、大したことではないのですが、子供の単純な僻みだったのだと思います。

 こうして記憶をたどりながら認めていると、色々な事を思い出します。

 誰もいない校庭の角にあるブランコで、一人ゆらりゆらり揺れていたあの日、寝る前に『明日は変なことがありませんように』と書いた紙を枕の下に敷いて寝た日。

6年生の時、児童会長選挙に立候補する人があまりいなかったので、担任の先生に立候補するように促されました。 

 断る勇気がなかったので仕方なく立候補しましたが、どうしよう…当選したら、仲間外れにされる不安でいっぱいでした。
 その為に、一人で落選の策を練りました。思えば、実におかしな選挙対策です。

 演説は短時間に済ませて、その原稿は簡単な箇条書きにしよう。
 そして、同級生の女子一人一人に、どうか、私に1票を入れないでね、とこっそり頼んでみよう。

 計画通り多くの女子に必死に頼み、そして祈りました。どうぞ、落選しますように、友達が協力してくれますように。
 他の候補者は、長い立派な演説でしたが、私の演説は計画通りとても短い物でした。しかし、先生に悟られないように声は大きく元気良く演説をしました。

 私の演説はあっさりしていたから、絶対に落選だ。他の候補者は上手だったし、と安堵していました。

 すると、演説会終了後に教室に入って来られた担任の先生が『この人の演説は、短くて分かり易く大変上手だった。他の人は話しが長過ぎて、まとまりがなかった』

 クラス全員を前にして大絶賛されてしてまい愕然とし、どうしよう、当選したら…一抹の不安が過りました。

 しかし、結果はめでたく落選したのです。嬉しくて嬉しくて、仲間外れにされない事が決定した瞬間でした。何よりも嬉しかったのは、私の願いを聞いてくれた友人たちの行動です。

 私の本当の実力で落選したのかもしれませんが、とにかくお願いをした友人たちに感謝し、一人一人に「有り難う」を伝えました。

 それでも、この学年の現状をなんとかしなければと考えていたのですが、親には心配をかけたくなかったので言えずにいました。

 かねてから、母の旧姓と同じ名字の保健室の先生に親しみを感じていたので、思いきってその先生に話しをする事にしました。
 保健室の女性の先生は、私の話しを笑顔で聞いて優しく励ましてくださいました。

『貴女は強いのよ。いじめる人は、本当は弱い人。だから大丈夫』

 その言葉に大きな刺激を受け、勇気がふつふつと湧いてきました。そうなんだ、私は強いんだ、強いんだ。

 励まして頂いた上に、小さいケースに入ったエメラルドグリーンの透き通った宝石のような石鹸を頂いて、保健室を出ました。多分私の表情は晴れ晴れしていたと思います。

 保健室のドアを開けて、一歩踏み出した時、廊下のガラス窓の向こうに見える校庭の景色が、明るく違う世界になっていました。世の中が180度変わった、とも感じました。

 頂いた石鹸は使わず、眺めては香りを楽しんで心地良い気持ちになっていました。

その時から強い精神という事を学び、今日に至ります。

 自分が母親になった時、子供がそのような状況に陥ってしまったら、保健室の先生に励まして頂いた言葉で立ち直らせよう。そんな遠い未来の事までも考えました。

 多感な年頃の3年間の苦しい試練は、机上ではできない学びがありました。私だけでなく、他の同級生の女子も同じ試練を経験して大人になりました。

 先生、あの時に励ましてくださって、本当に有り難うございました。

つづく

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