入院2-3日目(不安の高まり)
こんにちは、MAPです。
今回は妻が入院した翌日以降について振り返ってみようと思います。
もちろん、私にとって全てが初めての体験であり、気も動転していたのでやや記憶が曖昧です。
入院初日については、前回の終わりで書いた内容なので省略してます。
両親の到着
昨日に引き続き、起床後に子どもたちのご飯を作り、小学校や幼稚園に送り出し、掃除や洗濯を終え、一息ついたところで妻の両親が駆けつけてくれました。(両親は、心配して家から始発でこちらに向かって来てくれて、午前中には到着していました)
今の妻の状態から、母親はしばらく家に滞在してくれることになりました。父親は、仕事の関係から一旦家に戻り、また週末に様子を見に来てくれることになりました。
病院の面会時間は15時からだったので、それまで私は仕事しつつ過ごしていましたが、両親は気が休まらないまま時を過ごしていたのだと思います。15時過ぎに2人の子どもが帰って来てから5人で妻のお見舞いへ行くことにしました。(もう1人の子は習い事があったので今回は習い事に行かせることにしました)
お見舞い
安全運転を心がけながら車を運転し、15分ほどで病院へ着きました。
初めての面会で要領がわからず、お見舞いに来たことを緊急病棟のナースステーションへ告げたところ、病院の決まりで未就学児は衛生管理の問題から入室はできないようでした。
しかしながら、状況を考慮していただき特別に許可をいただき入らせてもらうことができました。(臨機応変な対応に感謝しています)
大人数で面会は認められなかったことから、2つに分かれての面会で、最初は私と妻の両親、その後に、私と子どもたちということで行いました。
顔色に衝撃
入院後、初の面会となりましたが、妻の顔色に大きな衝撃を受けました。
昨日までの顔色はいつものように白く綺麗な色だったのですが、面会した時には額から鼻あたりまでが内出血で真っ青というか真紫になっていたのでした。
今までは外傷はなく、医師の説明から状況が良くないこともわかってはいましたが、実際に顔色が変わってくると、実感値が大きく上がりとても見ていられないような状態でした。
妻の両親もさすがに驚いている様子で、心配そうに見つめていました。そして、母親からは妻に向かって「頑張るのだよ!あなたは強い子なのだから」というような声がけをしながら涙していました。その際、妻は喋ることはできずに目を閉じたままでした。
妻の顔色から、子どもが衝撃を受けるのではないかと思い、面会をさせるかどうか少し迷いましたが、せっかく来ていることだし、妻も心配しているはずだと考えて面会をさせることにしました。
私の想像に反して、子どもたちは妻を見て冷静に「お母さんお見舞いに来たよ、大丈夫?」などと声がけをしていたように思います。
それでも妻のリアクションはなく、あまり長くいるのも疲れるだろうと思い、短い面会で帰ることにしました。
主治医との面談
入院3日目、多忙な主治医の方とようやく面談させていただくことができました。内容は入院時に説明を受けた内容とほぼ同じでした。
主な内容は、
後頭部をぶつけてなった前頭葉の脳挫傷である
出血は増えていない(止まっている)
1週間は腫れるが2週間くらいで引いていく
今日、明日くらいが腫れのピークだと思われる
若い人ほど脳が凝縮されていて辛い(頭痛や吐き気)時期が長い
言語機能や運動機能をつかさどる機能は大丈夫そう
人格部分に障害が残る可能性がある
泣きやすくなるなど感情コントロールができなくなる
無気力になったりする
匂いが嗅げなくなる など
複数のことが同時にできなくなることもある
てんかんなどが発生する可能性があり予防する必要がある
車の運転は2年くらい難しくなる
2週間は安静にして、その後、必要に応じてリハビリ病院へ移るか退院になる
この時点での自分の気持ち
妻の顔色を見た時は正直ゾッとしました。それでも完治して家に戻って来てくれるものだと思い、しばらく続くであろう入院生活に対して妻が不安なく過ごせるよう、子どもと毎日見舞いに行くことにしました。
そしてまた、主治医からも言われた後遺症については、実際にはどうなるかわからないものの、自分自身の今後の生き方も含めた軌道修正が必要になるであろう覚悟を決めたのでした。
次回は、入院4日目以降の話を書きたいと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
MAP
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