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図書館に棲む男①

図書館好きが高じて、今日は一日、近所の行きつけの図書館に入り浸っていた。

この図書館は真新しいオフィスビルの7階・8階・9階の3つのフロアにわたって展開されおり、7階が子供の本のフロア、8階が一般書籍、9階がビジネス書や資料系というように区分けされている。閲覧スペースも豊富に用意されており、私が特に好きなのは、8階の奥にある、窓に向かって配置された豪華な一人用ソファ席。

そのソファ席は4つしかなく、快適すぎるあまりにいつも競争率が高いのだが、その日は朝一から来ていたので運よくそのうちの一つに座ることができた。

それもあって、この日はとてもリラックスでき、読書もはかどり、気づけば18時を回っていた。途中、休憩をはさみながらもかれこれ9時間も読書をしていたわけで、さすがに疲れたな、帰ろうかなと思ったところまでは覚えているのだけれど、どうやらそのまま居眠りをしてしまったようだ。

肌寒さを感じて目を開けると、私はまだその豪華なソファに座っていた。しかしなにか様子がおかしい。

真っ暗だ。

いや正確には真っ暗ではなく、常夜灯があちこちで光っているので周りは見えるのだけれど。ハッと思って腕時計を見ると、23時過ぎ。もしかして、、居眠りをしてしまっている間に図書館が閉館してしまったのか?でも人が残っているのにそのまま閉めたりするだろうか。

ふと思い当たった。

この豪華なソファは背もたれも結構な高さがあり、後ろからでは人が座っているのかどうか分からないことがある。体がずり落ちたようになって寝ていたので、なおさら後ろからでは分からなかったのかもしれない。

閉館後の図書館にひとり取り残された。
その事実を認識した。

不思議とあまり焦りや不安はなかった。図書館というどこか正しさや誠実さを感じさせる空間が不安感を抱かせ辛いのかもしれない。

私はソファから起き上がり、歩き出した。日中の雰囲気とはがらりと違う薄暗い図書館の中。私が最初に考えたのは、本を読むことはできるだろうか、ということだった。

常夜灯の下であればなんとか読めそうだったけれど、ちょっと明るさが足りない。そうだ、閲覧デスクにはデスクライトがついているはずだ。同じ8階のフロアの閲覧デスクに行って、デスクライトを点けてみた。点く。

それは当然といえば当然で、別に停電しているわけではない。なぜが災害の最中にいるような気分になってしまっていたが、よく考えれば、外から見ればなにも起きていない。図書館はいつものように21時に閉館し、ただそこに、私が異物として居残ってしまっただけ。

天啓のように思えた。

図書館が好きでたまらない、できることなら毎日図書館にいたい、いっそのこと図書館で暮らしてもいい。いつもそんな風に考えて現実逃避をしていた自分にとっての天啓。

本来なら、どこかに電話して、いや、こんな時はどこに連絡すればいいのだろうか。警備室だろうか。とにかくどこかに連絡して脱出しなければいけないのだろう。

しかし、それはとてつもなくもったいなく思えた。このチャンスを、一生に一度あるかないかのこのチャンスを最大限に生かそうと思った。もし叱られたら、居眠りしていたら図書館に閉じ込められてしまい大変困った、と被害者面をすればいい。

そしてまた歩き回っていてすぐに気が付いたのだけれど、エレベータは普通に動いていた。非常階段も使えるようだった。私は閉じ込められたわけではなく、ここから出ようと思えば出られる状態だった。

ただ、エレベータを降りた1Fロビーの入り口は閉まっているだろう。たしか1Fには警備室があったはずだ。あそこで事情を説明すれば、多少怪しまれはするだろうけれど、この建物からでることは難しくはなさそうだ。すこし残念に思った。

どうせなら図書館に閉じ込められるという経験をしてみたかった。しかし、これはこれで貴重な経験には違いない。先ほど考えたように、被害者面をして今少しこのシチュエーションを楽しもう。

それから私は本棚から何冊か本をピックアップし、ライトのつく閲覧デスクで本を読み始めた。素晴らしい時間だった。図書館はそもそも静かな空間だが、それでも人間がいる限りは雑音は発生する。

今は誰もいない。
この図書館には私一人だけなのだ。
本のページをめくる音が館内に響く。

図らずも訪れた最高の環境に私の心は躍った。そうして何冊か本を読み、気が付くと深夜2時を回っていた。

すこしのどが渇いた。そうだ、この図書館には館内に自動販売機がある。
それも飲み物だけでなく、パンやお菓子などの軽食の自販機もある。買いに行こうと立ち上がると一つの考えが頭をよぎった。

ここには、飲み物も食べ物もある。

清潔なトイレもある。

もしかして、私はこの図書館に住むことができるのではないか?

(続く)

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