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Chapter 4 分離独立派組織か? 単なるテロ組織か?

 「単なるテロ組織か?」というより、「単なる山賊か?」という表現の方が良いかも知れない。テロ組織に限って大義名分を振り回すが、山賊は主義主張なく騒ぎを起こして強奪して終わり、だからだ。南部国境県一帯に存在する組織はまさしく、山賊まがいが多いという。

 南部国境県のテロ組織は決して新しい存在ではない。分離、独立、併合を求めるために結成された組織は、遅くとも1930年代には存在していたらしい。太平洋戦争を経て、戦後もパタニーの独立運動は続くが、当時は独立よりむしろ英国領マラヤへの帰属が叫ばれた。インドネシアが終戦直後からオランダとの独立運動を展開したことも、後の南部国境県のマレー民族主義を煽ったようだ(インドネシアは1950年に独立)。1947年には最初の分離併合派組織、大マレー・パタニー民族同盟(Gabungan Melayu Patani Raya, GAMPAR)が結成される。

 GAMPARはインドネシアと同様のデザイン(上半分が赤、下半分が白)をパタニーの国旗と定め、英国領マラヤの左翼政党「マレー国民党」との密接な関係を築こうとしたが、同党からの具体的な支援は得られなかった。アラブ諸国、パキスタン、インドネシアへの支援も仰いだものの、それぞれがイスラエル、インド、オランダとの紛争を抱えていたため、世界的には弱小国家であるタイの、さらに一地方に暮らすムスリム同胞に回す余力はなかった。

マレーシア国境を警戒する陸軍兵士。ナラーティワート県スンガイコーロック郡

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