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Chapter 11 古より日本が登場するパタニー史

 パタニーの史書には数回、日本との関わりを示す記述が登場する。日本人が想像する以上に、パタニーと日本は古よりとつながっていたらしい。パタニー王国は海上貿易の主要港として栄え、ヨーロッパ、中東、インド、中国、そして日本などと交易があった。1511年にマラッカが陥落した後は、東海岸で多大な力を持つ有数の貿易港に発展した。現地で話を聞く限り、パタニーの町には多くのポルトガル人や日本人の姿があったという。

 ここでも件の旦那は実力を発揮する。実家が建つ地区は今でこそ市の外れだが、パタニー王国が存在していた頃の中心地だった。お隣さんは歴史に詳しい人ばかりだ。そんな旦那に、今は観光促進のために手書きでパタニー王国地図を作成している、幼稚園でアラブ語を教えていたという元教師を紹介してもらう。同氏は古い史書を引っ張り出してきて、王国が栄えていた頃にやってきた「Hiradus Nagasaki(ヒラドゥス・ナガサキ)」という日本人商人の名が残っているという記述部分を指差してくれた。旦那は以前からその話を繰り返していたが名前までは知らなかったようで、ふんふんと頷いている。これは長崎県の平戸島のことだろう。商人の名として間違って残っているが、実際に交易があったことは間違いないように思える。

パッターニーの民芸品を並べる地元住民。パッターニー市

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