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Chapter 9 こだわりの地名由来

 パタニーのことをいろいろ調べていく中でもう一つ、入り乱れた諸説を追っていった挙句に訳が分からなくなってしまったのが、「パタニー」という地名の由来だ。日本でも県や市を紹介するとき、地名の由来から始まることが多い。それはタイでも変わりない。特にパタニーを紹介する書物になると、歴史より地名の方が重要視されているのではないかと思うほど、必ず由来の詳細が書かれる。

 日本語版ウィキペディアでさえ、他言語からの訳らしき文章ではあるが、パタニーの地名由来を仰々しく掲載している。隣県ヤラーやナラーティワートでは地名由来などほとんど紹介されていないところをみると、パタニーという名はやはり特別な存在なのかも知れない。


 と、何か特別な存在を期待されそうだが、その説は結構しょぼい。
(1)現地で最も耳にするのが「パンタイ・イニ(この浜)」。王が遷都の際に「この浜にしよう」と言ったという説。このパンタイ・イニどこに行っても聞かれ、ほとんど定説化している。
(2)「パック・タニ(タニおじさん)」が住んでいたという説。肝心のタニおじさんが誰なのか分からない。
(3)「当地に実在したイマームの名前」という説。タニおじさん同様これもまた、「名前だった」で終わっている。
(4)アラブ語で「メッカへの扉」を意味する「ファートーニー」が由来という説。
パタニー三姉妹については華やかな話が残っているのに、地名となると「この浜」とか「タニおじさん」などと、途端に夢がなくなる。まじめな話で、(1)や(2)は現代マレー語そのものという感じがする。15世紀のパタニーの地で現代同様のマレー語が使われていたのだろうか。素人の自分には分からないが、後世の人が取ってつけたという印象を拭えない。ちなみに前述のパッターニー県知事のパーヌ氏は、「パンタイ・イニ」と説明していた。
 (4)はパッターニーでヤーウィー語の権威と呼ばれる教師が説明してくれた説だ。ただその教師も、「当時のアラブ人がパタニーのことをファートーニーと呼んでいた」という意味合いの説明を付け加えており、地名の由来とは断言していない。

結婚式の写真撮影。パッターニー県パッターニー市のクルセ・モスク

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