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#27 これからの学校の在り方を考える

今日はある「学びの多様化学校」での学習会に参加させていただいた。たくさんの刺激をもらい、同時にグサグサと刺された。これまでも考えていたこともあったが、改めて自分の教師としてのあり方や学校の在り方を問い直すよい学びとなった。考えたことを思いつくままに書いてみようと思う。

1.目的で合意することが大切。

教育の目的とは何かと問われたとき、各学校の先生はきっと人によって違う答えをだすだろう。この、「教育の目的は何か」と言う点で(法律的な話ではなく)合意していることが、これからの学校を作っていくために大切なのではないか。

今日の話の中でも、「手段が目的化してはいけない」ということがあった。「手段の目的化」という罠は、そこら中に潜んでいる。目的を合意し、そこをブレずに対話を重ねていくことで、「どのような方法でやるか」という手段が見出される。
どうしても「校則をなくした」とかへ「一斉授業やめた」とか、目新しい”手段”にばかり目がいきがちで、手段だけを真似て失敗する例がたくさんあると思う。そしてこれは人ごとではない。自分たちの学校、教室で行われていることも、そういった罠に引っかかっている例が多いだろう。今一度、「目的」について対話をする機会を作り、合意することが必要なのではないかと思った。

2.子どもを主語にしよう

やはり、マインドセットの部分が大切なのだ。特に自分たちが主語になっていないかと言う点については、とても響いた。「子どもを主語に考える」と言うマインドセットだけでも大きく変わるはずだ。

「子どもを主語に」と言う言葉も、様々なところで使われている割に、実態が伴っていない。本当に子どもを主語に考えられている例はどれだけあるのだろうか?
今日の話の中でも出てきた「研究授業の目的は何か」と言う問いについても、正直、多くの先生がの先生が「授業力向上のため」という答えになるのではないか。授業をするのは教師であるから、結局教師が主語になっているのだ。
授業研究も、子どもを主語に考え直す必要があると思った。

3.ありのままが認められるところ

実践報告の中で、「こどもの変化」をいくつも聞かせていただいた。
これは、「ありのままでいい」ことを認められたからこそ見られる変化だ。
反対に言うと、その子たちがいた学校という場所がいかに「ありのまま」でいられない場所だったかということもいえる。
能力承認から存在承認へ。「できる」からよいのではなく、「そこにいてくれること」それ自体が尊いことなのだということ。もっと「ありのまま」が認められる場所にしていかなくてはならない。

4.無意識のレッテル貼り

「休んでいる間にいつの間にか席が教室の一番後ろのドア側になっていた」という子どもの声があったと聞いた。教師がよかれとおもってやったことが、無意識(意図せず)のうちに「不登校」というレッテルを貼ってしまったのだ。
こうした「レッテル貼り」が学校に溢れていると思う。「明るい子」「よく頑張る子」「優しい子」「学年一の大物」「ずれてる子」「◯◯キャラ」など…
そして子どもたちはそれを演じていることも。このレッテルが子どもたちを苦しめてしまったり、可能性を狭めてしまったりしているのではないだろうか。まず、教師が無意識のレッテル貼りに気づく必要がある。

5.適度に放っておけ

なんでも手出し口出ししたくなるが、それではいけない。「適度にほうっておけ」は、すごくしっくりくる言葉だった。適度にほうっておくと言うことは、「困った時には助けて!」という意味でもある。教師の在り方につながるキーワードだと思う。
この「適度に」がなかなか掴めない人もいるのだろう。また、子どもによってその「適度さ」も違う。
少なくとも「〜させなくてはならない」というマインドでいる限りはこれはできないだろう。学校に来させなくてはならないとか、ノートを取らなくてはならないとか…ねばならぬが溢れているなと改めて思う。
苫野一徳氏の、「教育の基本は、信頼して、任せて、待って、支える」という言葉とも繋がると思った。

6.同じ子どもについて語り合う時間

学校で同じ子どもについて語る時間はほとんどない。これは学級担任制だからこそなのかもしれない。しかし学びの多様化学校や大空小学校では、1人の子供についてたくさん話すと聞いた。(オルタナティブスクール「ヒロック」の話を聞いた時にも、同じようなことを言っていた。)
一人ひとりの成長を見るというのはそういうことなのではないだろうか。もっ1人の子のことについて語り合える職員室にしたい。そのためには、(学級と言うものが存在しているのであれば、)学級をもっと開けた場所にしていく事も大切ではないだろうか。

7.「これでいい」とおもったら崩壊する

どこか、「これでいいよね」と思える”答え”を探してしまっているのかもしれない。
しかし、理想は目指すものだが、理想郷は存在していない。理想を目指して、悩み、やってみて、理想を問い直し…というこのプロセスがある学校が、ある意味”学校の理想的な姿”なのかもしれない。(日本語が矛盾しているが…つたわれ!)
「こうあるべきだ!」という答えが明確になっている時こそ注意だろう。もっと一人ひとりの教員が作り手となり、悩み、ともに学校を作っていくことが大切なのだと改めて思った。


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