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男性が女性に抱くうっすらとした罪悪感を嫌悪する私という女

さて、タイトルの意味が自分でもよくわからないんだけど、
『いい人はモテない』という記事を書いていて気付いた事がある。

まぁ、いい人はモテないって記事はさしてわざわざ世に出すものでもなかったわけだが、かいつまんで説明すると
「いい人だから好きになって!」っていうムーブがしんどいよなって話だろう。公開するまでもないので、公開はしていない(笑)


私は基本的には私のことを好きになる人のことが嫌いだが
それは世に言う「私のこと好きになるなんて見る目がない」的なやつではない。性コンテンツに成り下がるのを私自身が良しとしないからだろう。

言語化が難しいけど、

私は人間として、つまり、性別を超越して素晴らしい人間なので
女であることを求めてくる相手は、私が女で無かったら興味を失う奴だろうと思ってしまうのだ。
同性の友人が、例え素晴らしい人間だったとしても『好き』とは伝えないだろうし、嫌なところがあっても別に”そういうやつだから”で済んでしまうじゃないか
一年連絡とらなくても平気だけど、時間が合うなら食事や遊びに毎日誘うことだってある。

昔はいただろう?毎日遊んでた友人が。

「飽きないし、別に楽しいよ?」くらいが丁度いいのだ。

少女漫画的に言えば、『おもしれー奴』扱いをしてくれる人がいい。それは男性と同等に扱ってほしい、という私の感覚なのだが、何故か世の中は”女性はお姫様”のように考える人がそれなりにいて
私に”おんな”というレッテルを張り付ける。
いやぁまぁ実際モテ講座なんかはそういうだろうし、「友達になっちゃうと異性として見れなくなる」って言う人が多数いるのも知ってる。


ラーメン食いに行こうぜ

麻雀やんねぇ?

ダーツ行こう、スト6やろうぜ

連絡が半年に一回

そんな誘いが私にとって”人間として尊重されている感覚”なのだ。
もちろん着替えは別がいいし
ペットボトルが開かない時は頼むし
他の男に絡まれたときは間に入ってもらうけれども。

そう、そう、そうなんだよなぁ…(思索)

男性は女性に対して恋愛感情を持つと、そのこと自体に罪悪感を持つのだろうか。
それとも、他の女性が男性に傷付けられると、同じ男性として思うところがあるのだろうか。

いい人である男性が私に好意を抱く時、彼らは決まって尽くしてくれる。
そうして私の顔色を窺うのだ。僕は敵じゃないよ、僕のことを好いてくれますか?と。

私は私の判断を信頼している。
そんなことをされても、何一つ何もかわらないのに、私の判断に干渉しようとする。
悲しくて仕方ない。

(思索)

思い返せば逆に友達を経ていない恋愛も勿論あるわけで、その時はなんだったっけ…
ひたすらに口説かれたような気がする。
僕のことを好きになって!ではなく、「めちゃ素敵!誰よりも素敵!こんな人、他にいない!!」だったし、「あなたが彼女なら友人に自慢しまくる!」だったし、私が彼を無碍に扱っても「それでも好き」だったから
私から見ると彼はルフィだった。

前者の男性と、後者の男性の大きな違いについて考えると

前者の男性は、私から幸せを受け取ろうとする
後者の男性は、私が傍にいると彼の中から幸せが湧く様に思う。

なんだろうね、この差分。

ま、前者で一番腹が立つのは
「僕なんかと一緒にいてくれてありがとう」
というクソ余計な色んなモンがへばりついた、『絆』とか『感謝』とかをインスタで上げまくった女性と同じ種族の言う『愛』と同じものを不躾に私に投げてくるところだと思うんだよなァ(偏見of偏見)


とはいえ、「めっちゃ好みだから、この後どう?」のように誘ってくるキモおじに対しては、「お前の好みに合うからってなんでいかにゃならんのだ」とブチギレてたので、まぁ、何事もお互いの波長の問題になるんだろうな。


あー、こういうの
MECE揃えて言語化したい…

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