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う  器のはなし

それはまさに文字通り一目惚れだった。

学会で数日京都に行き、昼間はおべんきょ、夜はおばんざいと無駄な時間は1秒たりともないような充実した過ごし方をしていた夕方にその瞬間は訪れた。

「あ、イイ感じかも。」

と、ふらっと京都maisemaという店に立ち寄った。主にフィンランドのアラビア食器(ビンテージ)を扱う店だ。

小さな店内に所狭しと並べられたNICE(*~*)vなデザインの器の数々。

宝の山から宝を探すような不思議な感覚。

目を澄まして探すほどに、良いものが出てくる出てくる。

器について店長に聞くとエピソードがスラスラと出てくる出てくる。

フムフムと話しを聞きながらひとつひとつ眺めていたら

ひときわ僕の目を引く一輪の花!

少し小振りなカップ一面に咲いたマリーゴールド。

一発で気に入ってしまったのだった。

聞けばエステリ・トゥムラという女性のデザイン。

繊細かつ、食卓に華を添えるデザイン。素晴らしい。

店長もこの人の作品が好きで、

アラビア社の資本が変わって大量生産される前、職人が手で模様を描いていたころのが特に好きだと語っていたが

全くもって同感であった。

店長は大柄の男であったが、大きな手で繊細な器を愛でる姿に愛着を感じた。

僕は、「器」のデザインは単体で完成度の高いものも嫌いではないが食材が入って初めて美しく完成されるもの、あるいは盛る料理のインスピレーションを刺激してくれるものが好きだ。

少し話を広げるが、建築であれば、人の生活に華を添え、いのちの営みによって共に引き立つ「器」であること。

楽器も同様に人の奏でる音楽の「器」となるもの。

考えてみると「器」の究極をいうならば、神のデザインによる地球とも言えるのかもしれない。

宇宙が創られ、地球が整えられ、そして最後の第6日目に人が創られ、

人に命が吹き込まれたことをもって創造の業は完成した。

(最終的な完成は未来にあるが)

加えて聖書では「人を」器にたとえて表現することがあるのも面白い。

器。

いずれも最後に問われるのは「中身」であることもまた興味深い。



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