エッセイとは自意識である①

2024年2月。気持ちが停滞している。
そんな気分を打破するために何かを始めたいなと思っている。
その「何か」がエッセイでいいのか、それもまたわからない。

おじさんになってくると人生というか1日の大部分を仕事と家族が占めてくる。そんなことに漠然とした危機感を持ったのが30歳になった頃だろうか。

「これからの残りの人生、趣味が大事になってくるぞ。」

そう感じた自分は趣味と言えるものを自分の中に築く努力をし始めた。

いや努力し始めたって…趣味ってそういうもんじゃないやろ。
そう思っていた時も確かにあったかもしれない。しかし、オタク気質でハマる時はどっぷりとハマるような性格の自分なのにこれからの人生を共にする「趣味」と言えるものがないのは自分でも不思議だった。

研究室配属された大学〜大学院生時代、趣味と聞かれたら「Appleです。」と答えていた。趣味かどうかは別として実際にかなりのApple信者だったし、Appleのことはかなり勉強して当時の最先端の情報は常に仕入れていた。しかし、研究室から逃げ出して家庭を持ったただのおじさんになった自分にはApple製品は雲の上の存在となり、「研究のため」に変わる大義名分がない日常生活では最新のApple製品は必要ないということに気づいてしまった。そうなるとAppleの新商品発表もどこか他人事になってしまい、HDDとSDDのfusionドライブへと改造した(かつての)ご自慢のMacBook ProのOSアップデートが打ち切られたあたりから、かじられたリンゴは趣味の棚からそっと下ろされた。
かつては2年に1回は買い替えてないとバッテリー的にもOSの性能的にもダメだったiPhoneが、数年使えるくらいには長持ちし出したのもちょうどこの頃だったと思う。

大学院生を辞めてから(正確には休学してから)は、バイトをしながら英会話の勉強をして、お金がたまったら海外へ放浪するバックパッカーをしていたので、この頃の趣味と呼べるものは「英語と旅行」だったのかもしれない。しかし、英会話するにあたって趣味の話題というのは避けて通れないのだが、英語を話している時に「趣味は英語さ!」なんて言うとやたら意識が高い風に聞こえても困るし、何より英語を学ぶのが趣味という話題は英会話の先生相手にあまり盛り上がらないのもすでに知っていた。上手く言えないが、メタ的な複雑性を帯びてしまうのが原因かもしれない。では旅行の方を趣味と言えるほどの頻度で旅行をしていたかというとそうでもなく、むしろ海外旅行をするために英語を学んでいたので、趣味と言うよりも当時の捉え方としては目的に近い感覚だったのだと思う。(恥ずかしい話、当時の自分は「旅行」ではなく「旅」と表現していた。バックパッカーへの憧れが強すぎた故のこだわりだったが、このこだわりがまさにその「旅」の途中で崩れてしまうのはまた別のお話。)

そんな自分が仕事について結婚をして家庭をもった。なんかこの部分は文字にするとかなりキュッとしているが、実際に1年ちょっとの中の出来事なのでキュッとはしている。急激に自分の生活にリアルさが出てきて、これからの生活について考えるようになった。そして冒頭の考えに至る。これからは自分の人生の軸となるような趣味が必要だ、と。努力して趣味を身につけないと日々の仕事と家庭内のすることに1日1日が流されてしまうような気がした。これはもう過程にこだわっている場合ではなく、結果的に趣味になったらそれが趣味だと思うことにしたのだ。(この考えは正解だと今は思う。)

まずはすでに好きなものを趣味に位置付けることにした。深夜ラジオである。
ハガキ職人に憧れて一時的にメールを送りまくった時もあったが、なかなか投稿は続かなかった。結局聴くだけになったラジオ。うーん…決して悪くはないが軸となる趣味としては少し弱いような気がした。

コーヒーを飲むのが好きだったので、コーヒーを趣味にすることにした。コーヒー豆を挽いて自分で入れて飲む。始める前はめんどくさいかな?と続くかな?と思っていたが、これが意外と続いて今では堂々と趣味と言えるものになった。

YouTubeで動画を見たのをきっかけに、手品を始めてみた。これはかなりハマった。めちゃくちゃ趣味になった。ただ、手品と趣味の相性は実は悪い。手品って他人に見せて成り立つものなのかな?趣味ってそんな他人に見せるものだろうか?これは今も続く悩みである。

手品きっかけで知り合った人にサウナを勧めてもらった。むちゃくちゃととのった。どっぷりハマった。今でも週1〜2回はサウナに行かないと気が済まない。でもこの後すぐに空前のサウナブームがやってきた。サウナが趣味です、という人が爆増した。別にいいんだけど。

12年以上ぶりにラップも作った。これまた手品関係で知った人がビートメーカーもしていたので、その人のフリービートにのせてラップを作ってiPadで録音とかもしてみた。日本語ラップ大好きだった高校の時に自作ラップを作って以来のラップだったが、すごく楽しくてその人のビートが上がるたびに衝動的にラップを作っては録音した。誰も聞いていないYouTubeに上げられた俺のラップは時々自分で聞いてニヤニヤしているくらいで、今は全然作れていない。正直これは他の趣味に比べると一過性のものなのかもしれない。

去年からNFLを見始めた。スポーツ観戦の楽しみを覚えた。今シーズンは応援チームの全試合を生中継で観戦して大いに楽しんだ。今一番アツイ趣味はNFLで間違いない。しかしそのNFLもシーズンが終わった。4月にはドラフトがあり、9月になったら新しいシーズンが始まるが、とにかく今はシーズンオフになってしまった。

ラジオ・コーヒー・手品・サウナ・ラップ・NFL
趣味を作る努力をしようと決めて6年くらいが経ち、定着するか否かは別としてほぼ年1ペースで趣味を増やしてきた。これはもはや多趣味と言えるかもしれない。我ながら努力家である。
しかし、オフシーズンとなったNFLの喪失感はなかなかのもので、現在気持ちが停滞している1番の原因はこれである。というか、これしかない。
失恋の傷を癒すのは新しい恋であるように、趣味の喪失により停滞した心を動かすのもまた新しい趣味しかないと思う。

そうして書き出したこのエッセイ。本当にこれでいいのだろうか。趣味になり得るのか?
エッセイは自意識である、という本題にすら辿り着くこともできないでいるが、これはエッセイなのだろうか。

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