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なぜ大工さんたちは茶飲み話が上手なのか[36歳からの大工見習い日記 二週目]

36歳から大工さんを始めた日々の記録。

大工さんをしてみて一番思うのが、お茶の時間の話が楽しい。おもしろい。別に大した話はしないのだが。
それにしても、なぜ大工さんたちはそんなに話が面白いのか?
茶飲み話のプロだからじゃないかと思う。

大工さんにもよるんだろうけど、僕こところは7:40から準備なんかして、仕事が始まる前に朝の一服がある。
お茶を飲む。冬なのでポットなんかで熱いお湯を沸かして、ブレンディーの個包装の粉のコーヒーやらココアやら好きなものを飲む。茶菓子もある。
お茶とお菓子は親方からの言うなれば福利厚生だ。
(とはいえ、僕も一応は一人親方っていう形なので本当は福利厚生ではないんだけど)

お茶の時間は、十時に午前の一服、十二時はお昼ご飯。三時には午後の一服。六時には終わる。
一回の一服が30分以上ゆっくりする。
一服とは言うが、僕のところは煙草は吸わない。この辺は煙草を吸う人が親方かどうかにもよるんだろう。

お茶の時間は長い。
かれこれ、お昼休憩と合わせると二時間以上ある。
普通の企業なんかだと、
「そんな無駄な時間は減らして、業務を効率化せよ!」
なんて話になるんだろう。
はたまた、
「僕、休憩そんなにいらないので、早く終わらせて帰ります」
とか言う社員も現れそうなものだ。

そんなに長々と何を話してるかと言うと、どうでも良いようなことを話している。
仕事前に犬の散歩をすると話せば、親方の家の犬は老犬でもう元気がない、もう17歳だからな、犬って何歳くらいまで生きるの、15年生きれば寿命って言いますよね、大型犬なら8年くらいとかの犬もいるよね。
高速が通る前の頃はここは寒天干してた、やっぱりここらは寒い、昔は住み込みで親方のところに入って、飯炊きまでして、とか。
はたまた、趣味のカブトムシのブリーディングで、家の中をヘラクレスが飛び回って母ちゃんに怒られたとか。
そんなまったくどうでも良いような話を延々としている。

もちろん、仕事の話もする。
あっちの現場はどうだとか、この後の仕事はこう進めるとか、今後の段取りとか、何日に誰それのところの助っ人来れるかい? とか。この前の現場のやり方をアレコレ話してみたり、親方は現場監督や他の業者さんなんかに電話かけていたり。
仕事にとって大事な話も決して少なくない。
だけど、大半は無意味な話だ。

ただ、実際に働いてみると分かるが、安全のためにゆっくり休憩しているのだろう。
集中力が途切れたら、丸ノコで指が飛んだり、クギを打つガンで指を打ったり、いろいろケガのリスクはある。

「親方、風邪は大丈夫ですか?」
「ああ、風邪は建て方で治すんだよ、みんなで働いて、お茶飲んで話してたら元気もらえるからさ。大工はみんなそうだよ。風邪は仕事で治せば良いんだ」
親方はその前の日、熱も出て、病院で薬をもらっていた。
建て方とは、上棟とも言われるが、大工の仕事で一番大変な仕事だ。土台だけの状態から一日で骨組みを全て組み上げる。
この日だけは普段は一人で仕事をしている大工さんも仲間を呼んで五人くらいで一気に建て方を終わらせる。
大きなクレーンもやってきて、骨組みをカンカン組み上げる。重いものを持って高いところにも登るので、危ない。
全員で息を合わせて、一気に家の骨組みが出来る。

建て方で風邪を治してしまうのは、棟梁の強がりかもしれないけれど、実際、大工さんたちと話すのは元気がもらえる。
建て方の時に集まるメンバーは普段は別の現場なので会わない。
それでも、仕事も会話も息がピッタリで進んでいく。

毎日お茶を飲みながら、日々の些細なことを面白おかしく話す。
毎日それだけお茶してるから上手になるのも当たり前と言えば当たり前だ。
みんなが延々としゃべり続けるのではない。話し役、ツッコミ役、静かに聞いているだけの人、その場のメンバー次第で鮮やかに役が回る。
別に大した話じゃないのだけど、会話が綺麗に成立する。空気が上手く出来上がる。

少し大げさかもしれないけれど、そこには、現代人が失いつつある、本来の人間性みたいなものがあるとさえ思う。

人間というのはお話を愛する生き物なんだと思う。
こうして、noteにもお話を書いたりもしているけれど、本質的には書き言葉に限らず、茶飲み話みたいなアドリブで成り立っていても話を楽しむ。聞いても楽しい、自分が話しても楽しい、話を振られて、それに応えるのも楽しい。
なぜ人間は話が好きなのだろう。
人間が生き残るためには、言葉によるコミュニケーションが必須だったから、本能的にコミュニケーションの核を作る物語、話ってのが好きなんだろう。

そんなことを思ったりした。

ーーー

仕事としては、電動工具にも慣れてきたし、長さを尺で言うのも少し慣れてきた。
まあ、尺は困る。
日本の建築は昔は尺が基準だったけれど、今はメートルでの考え方も多い。
例えば、一マスが910ミリなのだが、これは厳密には909ミリ、3尺だ。これは問題ない。
ここで問題になるのが0.5マスが455ミリなのだが、これは1尺5寸となる。
これは何とも中途半端だ。

柱も5寸角、15センチ角は良いんだけど。
今は105ミリ角、3寸5分角が多くて、これも何とも中途半端。
特に柱は芯を見るから105角の半分は、52.5ミリ、1寸7分5厘となる。
メートルと尺が混ざっているので、いろんなことが中途半端だ。

まあ、尺の方がキリが良いことが多いし、職人さんは昔の伝統とか好きなので、尺で話すことが多いのだが。
一寸×一寸三分の角材はイッスンイッサン、一寸五分×一寸五分の角材はインゴと言ったように響きも良い。
お客さんは尺はさっぱり分からないので、図面なんかはミリで作られることが多い。

とはいえ、その辺りは、慣れの問題なので良いんだろう。

住宅会社で働いていたので、言葉の意味なんかも分かるし、ランニングや自転車なんかしていたので体力も何とかなっている。
図面が分かるし、これまで書いていた図面の中身が分かるから、むしろ楽しい。
ありがたい。
それでも、やっぱりそういうのが無くて完全にゼロから大工さんやるのってかなり厳しいなと改めて思う。
日本全体で大工さん不足っていうのもなるほどなぁ、とは思う。

来週も頑張ろ。

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