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新聞社を辞めた。noteを始めた。




★注意 メンバーシップ参加後も、記事の内容や掲載される写真の無断転載、情報の公開、二次利用などはいかなる理由があろうと一切禁止です。もしご理解いただけない場合は参加をおすすめしません。



ごあいさつ


初めまして、長尾隆広です。
今日からnoteでメンバーシップを始めることになりました。
よろしくお願いします。


いつか文字数の制限がない場所で、しっかり新聞社を退社した理由についてお伝えしたいと思っていました。なので、新聞社を辞めたこと、noteを始めたこと、そして長尾はどこへ向かうのかを知っていただけると嬉しいです。有料制にする理由も後述します。

私は、2023年9月30日に報知新聞社を退社しました。
就職留年しながら2009年になんとか入社し、大阪本社の販売局で営業を9年、編集局で新聞記者(阪神タイガース、中日ドラゴンズの番記者)を5年半、計14年半勤務しました。

退社する決断は簡単ではありませんでしたが、すごく悩むこともありませんでした。6月末に退職願を提出してからは、周りに言えず申し訳ない気持ちと、今後どうすればいいのかを考えていました。

8月上旬には一人旅でエスコンフィールドに行ってきました


8月1日から有給消化が始まったので、実はそれ以降、1度も取材現場にはいきませんでした。普段から私のSNSを見てる方がこの記事を見てくれているはずなので、中には「うすうす気付いていたよ」という方がいるかもしれません。その間に、人生で初めて髪の毛を金髪にしたり、北海道に一人旅に出たり。ちょっと満喫…いや、だいぶ満喫していました。

新聞社を辞めた理由


9月30日、フォロワーの皆様へ報告しました。このポストに多くの反応をいただき、本当に感謝しています。たかが一記者の退社報告に、インプレッションが60万を超えるなんて想像できません。会社を辞め、もう番記者じゃないネガティブ要素なのに、なぜか約2000人フォロワーが増えました(笑)


新しい新聞記者像を目指してきた私にとって、X(旧Twitter)はライフワークそのもの。奥さんから常々「パパの手からスマホが離れない」と言われていました(ごめんなさい)。ニュースや投稿は、とにかくスピードが大事。休日もパソコンを持ち運びながら、家族との時間も大切にしないといけなかった点は難しかったです。

この投稿に「起業して、新たな事業に挑戦」と書きましたが、色々なことを考え抜き、この結論に至りました。まず一番は家族のことです。以前、名古屋から離れる可能性があると奥さんから聞いた長女は、沖縄キャンプ取材中のパパへ電話越しに「東京でも大阪でもどこでも行くよ。パパもママも○○(次女の名前)も家族4人でずっと一緒に暮らしたい」と言ってくれました。さすがに心が揺さぶられました。

今年で中日担当5年目だった私は、通例なら2023年オフで名古屋を離れることが確実。もし次に安住の地を見つけても、これからキャリアアップしていけば全国転勤を繰り返すことは容易に想像できました。今、子供が通う学校も含め、このまま環境を変えたくないと強く感じてました。


新聞記者、失格?



家族だけでなく、私自身も名古屋から離れることを想像できませんでした。故郷が一宮市という理由だけではありません。名古屋では〝天職〟と呼べる職場と出会いました。ナゴヤ球場やバンテリンドームです。

いつか「なぜドラゴンズの選手と仲良くなったのか?」はお話したいと思っていますが、私が今後どんな仕事に就こうとも、近くで応援したいと思う数多くの選手に出会いました。2年連続最下位に沈んだドラゴンズですが、若手には有望な選手が目白押しです。もちろん選手だけでなく、球団関係者、在名メディアの方など、お世話になった人はたくさんいました。

去年くらいからでしょうか、記者と選手の関係を遥かに飛び越えてしまったこともあるかもしれません。岡林勇希選手や石川昂弥選手など、多くの選手から「もう『記者』だと思ってない。友達」と言われるのは嬉しくもありますが、その反面、新聞記者として失格だと感じていました(最高の褒め言葉なので内心はすごく嬉しい気持ちです)。この環境には合っているけど、新聞記者という立場は私にとって向いてないのでは?と、自分のキャリアを深く考えるようになりました。

馴染みのカメラマンが撮影してくれた貴重な取材風景


悶々とする日々で、芽生えた気持ちがありました。


「もっともっと彼らの魅力を発信していきたい」


自分のSNSやネット記事などで、魅力は伝えてきたつもりです。でも、彼らはまだまだたくさんの素晴らしい個性を持っています。新型コロナ禍以降のプロ野球界は、ファンと選手が分断されたような気がします。実際、2021年に無観客キャンプが行われたとき、SNSにアップする写真へのコメントがすごく温かかったのを覚えています。

会社に所属する「新聞記者」という立場では、その会社の意向に沿った記事や仕事が多くなります。ましてや、私の古巣は読売系。ライバル球団のグループ会社の新聞社では、活動に限界があります。地方赴任の目安となっている5年間で名古屋勤務は終了し、2023年で他のエリアへ異動すると予想して、ここ2年くらいは「今後、自分に何ができるか」を考え続けていました。まさか次の職場すら決めず、退職するとは想像もしてませんでしたが。


次に選んだ仕事は


出した結論は、起業を目指すことでした。知恵を振り絞って出したのは、3つの事業を軸にすることです。

  1. イベント事業

  2. メディア事業

  3. ビジネスサポート、マネジメント事業

一つ目は、オフに行われるファンミーティングやトークショーの企画・運営です。幸いにも、スポーツ新聞社での営業マン時代、何度もイベントを企画して、新聞購読を獲得していました。昨年は、加藤翔平選手、郡司裕也選手のファンミーティングでMCを務めました。あの時の気持ちの高まりや達成感は今でも鮮明に覚えています。本当に楽しかった。11月11日には、名古屋の大須で初のイベント「ナガオトーク VOL.0」を開催します。すでに多くの反響をもらっています。その後も複数のトークイベントを予定しているので、この場所で先行告知します。今年はバヤシともしゃべりますよ!

11月11日に行われる「NAGAO TALK」です。
残席わずかです!


二つ目は、まさに今読んでいただいてるnoteなどです。文春野球でも書いていますし、退社報告をしたところ、ありがたいことに3、4社から連絡をいただきました。まだどの道を歩むのかは決めていませんが、執筆活動も少しずつ取り組んでいこうと思います。イベントを開催したときに楽屋でのオフ動画や、特別インタビューを投稿するのもこの事業になりますね。




三つ目は、ビジネスサポートです。かっこよく言ってますが、選手のSNSを運用したり、将来スターになったらマネジメントしてみたいな…という目標です。ずっと変わらない主張ですが、プロ野球選手という職業はプラチナカード。いかに現役時代に市場価値を高めていくかが大事だと思っています。そのサポートができれば、双方にとって良好な関係を築けるはずです。


そして、noteを始める


退社のポストを見てくれたnote社の荒木さんから、DMでメンバーシップへのお誘いをいただきました。そこからnoteの可能性を感じ、チャレンジしてみようという気持ちになりました。

正直、私は文章が上手いと思ったことは一度もありません。全然ネタも思い浮かばないし、なかなか構成できずにモジモジしています。何より原稿を書くときはいつも緊張していました。書き始めたらすらすらいきますが、そうなったのもここ最近になってから。記者1年目は、150文字弱しかない「雑感」と呼ばれる記事を書くのに、泣きながら2時間かかったこともありました。

文章を書くことを本格的な仕事にしたいというより、記者を辞めてもどこかでひっそりと発信できればいいと思っていました。その矢先に、この提案を受けました。目指す「メンバーシップ」は、読者の皆さんから月額で購読料をいただき、この場所でしか読めない記事やコラムなどを執筆したり、オフショットばかりを集めたデジタル写真集を作ったりする、いわば「一人スポーツ新聞社」の設立です。どんな形に成長していくのか想像もつきませんが、イメージできないからこそ面白いはずです。

情報は「鮮度」と「誰から聞くか」が重要。本人から聞く一次情報は、私が発信する上で一番強いカードで、最も大事にしています。もし、このメンバーシップへの参加者が増えれば、得た収入は取材費として読者へ還元していきます。#ゆうやまーん(郡司裕也選手&山本拓実選手)の写真を撮るためだけに、エスコンまで行っちゃうかもしれません。(京田)陽太くんに会うために横浜へビュンとか…そういう可能性は大です。今まで記者という職業柄、会食や取材中の写真は封印していましたが(本人許可の上)これからたくさんのせていきたいと思っています。

また、新聞社時代にはできなかった、ファンの皆様と交流もしてみたいと思っています。どんな記事が読みたい?どんな写真が見たい?このメンバーシップでは、掲示板を活用できるのでぜひ教えてください。Xでは、同僚とスペースを何度かやったこともあり、しゃべることも好きです。動画も公開できますし、本当に色んなことができそうです。



最後に



「長尾を応援することで選手を応援できる」ほどおこがましくはないですが、「新聞社を辞めてフリーになり、色々やってる長尾の観察でもするか」ぐらいの気持ちでサポーターになってくれると嬉しいです。末長くよろしくお願いします。


私の好きな言葉は「小さな縁を大事にして、大きな運に繋げる」です。コロナ禍で自宅待機していた時、再放送していた「鶴瓶の家族に乾杯」でこの言葉を知りました。本当に素敵な言葉です。


まだ見ぬ大きな運へとつながる第一歩を、このnoteから始めます。

長尾 隆広

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