水俣のメッセージを"普通の人々"へー実川悠太さん(水俣フォーラム)

不知火(しらぬい)海の水俣病は、1968年にチッソ水俣工場の排水が原因と認められ、患者への補償・救済も不完全ながら進められた。教科書には「四大公害裁判」の1つとして掲載され、解決済の「過去の出来事」と思う人もいるだろう。

しかし、現在も多数の未認定患者が存在し、症状の悪化、根強い差別など、問題は解決していない。「水俣展」*1の開催などにより、「近代」や「人間」を問い直す機会を提供してきた「水俣フォーラム」理事長の実川悠太さんにお話をうかがった。

*1 水俣展:パネル・実物展示(約300枚・60点)、関連書籍販売、水俣物産展、毛髪水銀調査、関連イベント(講演・上映会など)で水俣病を伝える展覧会。1996年の東京展以降、全国で開催している。

写真上:「水俣展」ではいつも3人に1人が感想を残す
写真下:「水俣・東京展」(1996年)にはうたせ船も展示された

DEAR News190号(Feb.2019/540円)の「ひと」コーナー掲載記事です。DEAR会員には掲載誌を1部無料でお届けしています。

水俣病との出会い

1954年に東京に生まれた実川さんは、学生運動が盛んな時代に、中・高校生時代を送った。高校では教師の暴行事件に抗議してバリケードストライキを行い、街頭デモにも参加した。しかし、デモや集会で聞く言葉に「嘘っぽさ」を感じ始めていた高校2年生の時、友人に「東京駅のそばで面白いことをやっている」と誘われて立ち寄ったのが、チッソが入るビルだった。

チッソ本社から追い出された水俣病患者たちが路上にテントを張って座り込み、通りすがりの人々に被害の様子などを訴えていた。日に焼ける生活の言葉で語る患者たちの話を聞き、実川さんは「この人たちが言おうとしていることは本物だな」と感じた。そして、新橋にある「東京・水俣病を告発する会」の事務所に足繁く通うようになる。

当時、支援に集まる者は10~30代の若者が多かったという。事務所では8ミリフィルムの貸出しや修繕、名簿管理や案内発送など、地道な事務作業を担った。水俣病裁判の判決直前には高校生約100人で集会を企画し、デモをしたこともある。大学受験もしてみたが、水俣病のことが気になり、受験勉強をやめた。夜はアルバイトをし、昼は患者たちが上京した際の宿泊場所の手配や付き添いなどの支援活動を行った。

なぜ、そこまで水俣病にのめり込んだのだろうか。実川さんは「患者さんや支援者たちの人柄に惹かれたんでしょう。政治に利用しようなどの下心がなく、魅力的な大人がいましたから」と言う。

編集者として声を伝える

「学校は生徒にウソをつくし、企業は水俣病を放置したままだけど、世の中一度には変わらない」と考え始めていた実川さんは「患者たちの声を世に出したい」との思いから、1976年に編集・制作プロダクションに入った。水俣病に関する書籍はまだ10冊も存在しない当時のことだ。企業の社内報やPR誌、テレビCFなどを担当し、昼夜を分かたずに働いた。企画や原稿整理、レイアウト、校正などの編集者としての仕事のスキルは、水俣病の支援活動にも役に立った。

4年ほどしてフリーの編集者になった実川さんは、水俣病患者の支援をしながら、社会問題・社会科学系の書籍や雑誌の編集に取り組んだ。仲間たちで編集した『水俣病自主交渉川本裁判資料集』(現代ジャーナリズム出版会、1981年)は、今でも事件に関しての貴重な資料となっている。また、薬害スモン*2の被害者から依頼され『グラフィックドキュメント スモン』(日本評論社、1990年)を編集した。「和解に納得したわけではない」という被害者たちから和解金の一部を託され、東北から九州まで取材してまわった。

*2 薬害スモン:整腸剤キノホルムによる副作用で神経がマヒする薬害。歩行困難や失明などの健康被害を被った患者は全国で1~2万人にも達し、患者と家族は差別と偏見にも苦しんだ。1970年に日本ではキノホルムの製造販売および使用が停止となった。

加害者でも被害者でもない人々のために

1990年頃、水俣病患者の間では、長年にわたる行政やチッソとの闘いに疲れ果て、和解に望みをつなぐ声が高まっていた。「和解の是非は患者自身が決めればよいこと」と実川さんは思っていたが、和解で水俣病の問題すべてが終わったと思われてはいけないと考えていた。患者が加害者と闘っている間は、研究や報道などによって、企業や行政の行動を多少は抑止することができるが、和解となるとそれが止まる。

また、水俣病には多くの優れた記録・表現が残っている。それらに広く人々が触れられる機会を作りたいと92年ごろから「水俣展」の構想を練り始めた。実川さんのほか、水俣病に関心を持つ人々が実行委員会を立ち上げ、1996年に初の「水俣・東京展」の開催にこぎつけた。展示は過剰な説明を排除し、エピソードや写真、映像、証言などを多用して、いかに具体的に語るかに注力した。

写真:「水俣・東京展」では屋外の写真展示も

当初は1回の開催で終わるはずだったが、

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