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明日はもっと楽しくなるよね、ハム太郎!

駅伝まで残り1週間となりました。
経済学部4年の田代瑞貴です。

部屋で1人、筋肉ルーレットをしたら
ボケーーーーーーーーーーーーないッ!
となったので、ボケないで話をしていこうと思います。
最近坐骨神経痛の影響でハムが痛いのでハム太郎の名言を題名にしてみました。

少年田代、立志

僕が陸上を始めたのは中学1年生からです。
3個上の兄が同じ学校で短距離をしていて、小学生の頃よく試合を見に行ってました。その影響から部活は陸上に入ろうと最初から思っていましたが、同じ種目は兄イジりをされて嫌だったので、違う種目をしようと長距離の道に進みました。

中学3年生の卒業式
所持している最古の写真(のはず)
この頃からぶくぶくです

この時点で少し道を間違った気がします。むちゃくちゃ短距離みたいな身体なのに長距離を始めてしまったことで、コイツ長距離のクセにデブやなと思われるようになりました。

しかし始めてみると、陸上長距離の魅力にどっぷりとハマっていきました。箱根駅伝を見始めて青山学院大学を推し始めたのもこの頃からで、勉強<陸上の価値観に変わっていきました。

中高一貫校だったので高校受験シーズンも部活に行きまくり、大学受験前も11月くらいまで駅伝走ってました。お正月はもちろんニューイヤー駅伝を統一模試の休憩時間に視聴し、友達と勉強会をしながらスマホで箱根駅伝を見ていました。
そんなこんなで大して成績も上がらず長崎大学に入学したわけです。

青学を応援し始めて初めてできた推し→現推しへの襷渡し

僕の気持ち

これまで10年間陸上をしてきました。最初に道を間違ったと言いましたが、今では長距離にきてよかったなと心の底から思っています。

中高でお世話になった先輩方、可愛がった後輩達。
大学に入ってかけがえのない仲間になった長大陸上部のみんな。

ここまで楽しい22年間を歩めたのは、陸上競技をしてきたおかげだと思います。ありがとうございました。そしてその陸上人生が、あともう少しで終わりを迎えようとしています。

最後の800m、ドベでも楽しく走れた

新体制になってから、色々考えることが増えました。

チームのこと。自分のこと。

4年生として、何をしなければいけないのかも分からないまま、かなり好き勝手やっていた気がします。駅伝をAチームで走れるような走力は僕には無いし、役職もないし、じゃあ何ができるんやと。僕いても意味ないよなぁ、とかなり不貞腐れました。
4年生の話し合いにも意欲的に参加せず、意見も出さず、部の方針は他人任せでした。

転機は国立大合宿で、望夢さんに喝を入れてもらった時です。
『このままじゃ駅伝終わった時に後悔しか残らないぞ』と、そう言われた時自分の中の何かが溢れてきました。
駅伝終わった後、今まで切磋琢磨してきた4年生達と感動を分かち合えない、悔しさを噛み締められない。他人事のように『良かったね』としか言えない自分を想像したら、このままじゃダメだと考えるようになりました。

もう登りたくない峠と消えた一彰

それからは部の方針や話し合いに対して積極的に参加していきました。
僕には、記録会で良いタイムを出してチームに刺激を与えられる走力も、練習を先頭で引っ張る強さも、コイツについて行けば問題ないというカリスマ性も持ち合わせていません。それでも部が少しでもいい方向に進めばと、僕なりの意見や考えを出してきたつもりです。

このチームが駅伝でいい結果を出せるように。
選手が前を向けるように。
4年生が有終の美を飾れるように。
駅伝終わって、頑張って良かったと言えるように。

僕は残りの1週間もチームのサポートを惜しみなく続けていきます。何か助けになれることがあれば、遠慮なく仰ってください。後輩くんちゃん達もです。


さぁ、万全の状態でスタートラインへ。



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