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さよならデラックスボンバー

母乳育児を終了した。いや、終了せざるを得なかったといった方が正しいか。
生後2か月になるまではわりと順調に母乳を作っていた私の乳腺は、3か月半を過ぎたころから急に数滴しか母乳を作らなくなってしまった。ミルクは母乳を補うものから徐々にメインになっていき、現在子はミルクしか飲んでいない。

産後の、自分の生きてる実感が全く湧かない幽霊のようにぼんやりとした生活の中で、なんとかかんとか頑張ってきた母乳授乳。
どんなに身体が辛く精神的にボロボロでも、生まれたばかりの子と一緒に一日に何回も練習した。色んな方法を試し、少しずつ少しずつ、子と私は上達していった。母乳終了は、ようやく2人の授乳スタイルができてきて順調に進むと思われた矢先のことだった。

「出なくてもいいじゃない」の辛さ

母乳を子にあげる行為は、一日でスッとできるようにはならない。子と毎日2、3時間おきに練習する。子の母乳を飲む能力を見ながら体勢や時間などを母親が細かく調整していき、時間をかけて少しずつ2人だけの授乳スタイルができあがっていく。
正直母乳が出なくても子は何の問題もなく育てられる。出なかったらミルクをあげたらいい。しかし、なまじ母乳をあげる時の感情を知ってしまったものだから、いざ出なくなると、自分の役割を否定されたような、今までの苦労が全て無駄になったようなそんな気持ちに私は苛まれた。

母乳育児は性生活に似ている

母乳授乳は、自身の身体能力を活かして愛する人に施しを行うという意味では、セックスに近いものがあると私は感じている。
母乳が出なくなり「出なくてもいいじゃない」と励まされる度に、私はEDに悩む男性に思いを馳せていた。「勃起しなくてもいいじゃない、愛し合っているならばそれで幸せじゃない」……そう言われる彼らは、私と同じような気持ちになったんじゃないだろうか。

(赤ちゃんが元気ならそれでいい)
頭では分かっていても、それでも、私はもっと自身の身体能力を使って子に施しをしてやりたかった。子が満足している姿を見て身体能力に自信を持ち、自己肯定したかった。
悔しくて悔しくて仕方なくて、ほぼ空っぽの搾乳機を抱えて大声で泣いた。

もう大丈夫、だけど

子に母乳をあげなくなって2ヶ月が経過した。
完全ミルク育児になって、ある意味子育てはグンと管理がしやすくなった。夫にも授乳仕事を振れるようになった。お酒が飲めるようになったのも嬉しい。最初は未練がましくしていたが、時薬が効いて吹っ切れてきたように思う。

でも、今でもやっぱり少し寂しい。
岩のようにカチカチに固まった、デラックスボンバーサイズの乳房。
乳房を枕にしながら、満足そうな顔で眠る子。
飲みながら小さな手で脇腹を擦られ、くすぐったくても必死で身を捩らせるのを我慢したこと。
使いすぎてチューブがぺたんこになったラノリンクリームに新デスパコーワ。
全てがもう二度と帰ってこない。寂しいけれど思い出すと不思議で滋味深い時間だったと温かな気持ちになれる。経験できてよかった。よかったんだよね?

さよならデラックスボンバーサイズのオッパイ。
写真に撮っておけばよかったな。
一生に一度の爆乳だったのに。なんて。

(見出し画像は最近買ったボウモア。
いつの間にかウィスキーはどれもとんでもなく値上がりしていた。これからどうしたらいいものやら。)